コップは踊り水漏れてモップで拭う?

映画「会議は踊る」のモデルは「ウィーン会議」だが、それでも1814年9月から翌年6月までの10ヶ月に過ぎない。京都議定書第1回締約国会合(COP11、MOP1)のチンタラぶりを見たらメッテルニヒタレーランもずっこけるだろうなあ。
地球サミットが開かれたのはもう一昔前の1992年のことだ。COP3京都会議からももう8年前の1997年のことだ。
今回の会議をテレビで見てもみんなやる気なさそうで、嫌々やっていますと顔に書いてある。一人「参加することに意義あり」そうではしゃいでいる小池百合子を除いて。
以前にも書いたが、そもそも京都議定書自体がインチキなのは参加者全員分かっているのだろうし(一人小池百合子を除いて)、誰も守る気ないのも分かっている状態で、アメリカを悪者扱いにしても無意味なのも分かっている。
日本にしても1990年レベルよりマイナス6%という目標を、現状ではプラス8%で、これから削減となると、マイナス14%となるわけだけれども、実際にはそんなもんじゃないてことも以前書いた
私は、出発時点の設計思想自体に問題があるから、こんな欺瞞的な会議もうやめれ、と思うのだけれども、かといってもうやめますと宣言したら、地球温暖化防止の放棄と思われて非難轟々だろうから、やめるにやめられない。
もう会議のための会議、先送りのための先送り、「一歩前進」のための「一歩前進」になっているのは誰の目(一人小池百合子を除いて)にも明らかだから、もう全然注目されないでしょう。あ?まだやってたの?って感じで。
へえぇ〜ならClick⇒人気blogランキングブログランキング・にほんブログ村へ