情報のデフレ、インフレ?

FIFTH EDITION:ITネットワークのインフレとデフレ 現実世界の経済ネットワークにおいては、ノードとは製品・サービスであり、リンクが貨幣となる。あらゆるノードは、貨幣というリンクによって結ばれており貨幣によって、その交換が速やかに行われる体制を取っている。 本当にそうかな?
ノード(HPやブログなど)が製品・サービスとしても、リンクが貨幣に相当するとなぜ言えるのか? 貨幣には交換機能、価値保蔵機能、価値尺度機能がある。 リンクにしても、リンクを辿ってのアクセスも、そのような貨幣の持つ機能を有していない。
交換機能はあるだろ、とツッコミが入るかもしれないが、リンクそのものが商品・サービスの交換を媒介するわけではない。例えば、トラックバック(TB)と、TB返しを考えると、TBの送信者は既に相手の商品=ブログの記事を閲覧(購入)しており、黙って閲覧しても相手から「TB寄越せ、ゴルァと怒られるわけではない。つまり立ち読み、万引OKの世界なのだ。同様にTB返ししたところで、TB送信者が何かを得られるわけでもない。既に商品は手元にあるのだから。
残された可能性はTB、TB返しによって、お互いに自分のサイトのリンクが多くなり、よりアクセスしてもらえる可能性が大きくなるということだけだが、商品(ブログの記事)の価値におけるインフレ、デフレと無関係である。
つまりだが、

リンクが過剰供給された場合には、リンクの価値の低下が起こり、逆に、ネットワーク内での情報流通が阻害されるようになる。例をあげるなら、はてBでお気に入りを増やしすぎると、情報量が多くなりすぎて何を読むべきかわからないほどになってしまう。
また、リンクが充分な量、提供されない状態もまずい。
この場合、どこに行けば、適切な情報が手に入るかどうかわからない。

なんてことにはならない。↑の前者は、選択肢の過剰であり、インフレとなんら関係ない。後者の場合は選択肢の過少であり、デフレとは関係ない。

なぜこのような混乱が起きたかといえば、ネットの場合、商品・サービスはリンクの多寡よりも、ユーザーのネット使用時間にもっぱら依拠するという素朴な事実が忘れ去られているからだ。この忘却は、
404BNF:容量制限はマスコミ援護の最後の逃げ場では、

言論空間そのものは、本来容量無制限なのである。容量無制限のコンテントを、容量制限のあるメディアに無理矢理詰め込もうとしてきたのが問題の根源だったのではないか?
そしてネットにはこの制限がない。実は書籍もこの制限がマスメディアに比べればずっと低いのだがそれでも紙という有限の資源に依存する以上はやはり「容量制限問題」と無縁ではない。容量制限からの開放。それだけでもネットというのは「マシメディア」なのではないか?

と書かれている。要領を得ない容量論である。テレビ番組にしても新聞にしても毎日の容量は限られているが、個別のネットライターも時間的制約を受けている以上、ネットも時間的制約を受けている。量は無限というのなら、地球の資源は有限だが、宇宙の資源は無限だと言うのと同じくらい詮無きことだ。
ネットの特徴は言うまでもなく、情報量の増大そのものというよりも、情報へのアクセス速度だ。これはインフレ、デフレの問題ではなく、むしろ“情報温暖化”の問題だろう。温度が上がるということは、その物質の分子の運動が激しくなるからで、畢竟、人々の行動を早くさせ、サイバー需要創出へと導く。
今後、地球温暖化は“情報温暖化”と双子のように手と手を携えて未知へと人類を導こうとしている。
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