死がない日本国憲法

憲法記念日。日本は戦後60年もの間、生きた憲法を持っていない。黒蜥蜴の台詞を借りれば「永遠に若さを保つ宝石」、人間剥製の如きで、現に一度として改正もされていないダイヤモンドのような不磨の大典だ。法文であるのにあたかも文学的永遠性を持った美学であるかのように。
不死の宝石ならば、それは生きてもいず、死んでもいない、最初から「死」が予め除去され、生命の原理が否定されているにほかならない。除去された部分とは、端的に言って第9条だ。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

生命活動とは絶えざる死との戦いにほかならない。見ることも、聞くことも、体を動かすことも、単細胞生物時代から営々と継がれていた「防衛行動」によるものだ。視覚、聴覚などの五感はいわばハイテク防衛システムとして出発している。そして生きる喜びも実は、こうした防衛システムの副産物であり、防衛の裏返しだということに気付く。美しいものを見る喜び、美しい音楽を聴く喜び、生の充実を裏書しているのは、実は死への恐怖ということになる。
で、第9条を読むと、そのような生の裏書としての「死」が見事に削ぎ落とされていることが分かる。
つまり、日本国憲法の真髄にあるのは宝飾品、ある人にはダイヤモンドのように美しく見え、興味のない人にはただの石ころのような鑑賞物なのだ。体の中心の心臓が宝石であることの素晴らしさよ!
この宝石はどのような美女を飾っているのだろうか? アメリカ? 最近では中国あたりがこの宝石を狙っているようだ。日本に明智小五郎はいないのだろうか?
あと何年待てばよいのか
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