滝本弁護士の定義も曖昧@GripBlog

GrioBlog:滝本弁護士へインタビュー
滝本 :デカルトじゃないけど定義付けが大事でしょ。教団とは何ぞや、脱会とは何ぞや。 確かに大事だけど、滝本太郎さんの定義付け自体、恣意的だ。
「脱会」を滝本氏がどう定義付けしようが、ある会派・団体を辞することだ。この場合、教団ならびにその分派を含めて「辞める」ということであって、

麻原さんの観想をやめたかどうか、これが一番の定義ですね。

なんて、言われても困るのだ。内面の問題で脱会したかどうか定義されたって、「脱会」という言葉の意味から激しく逸脱している。「脱会」と内面の問題とは全く別問題と定義付けされなければならない。

私は、脱会届を出したか出さないとか、あんまり気にはしてないですけどね。だけど、本当に脱会するなら、出さないより出した方がいい。

なんて暢気なこと言われても一般社会は困るのだ。社会復帰させるなら、まず社会の掟通りにやってもらうのが第一歩だろう。出してもらわなければいかんのですよ。脱会届を「オウムの活動はしません」という社会に向けた誓約書として。
で、滝本氏は観想をやめたかどうか、どのように判断するのかというと、

話していてオウムの発想がどこまで抜けているかということと、今までして来たことをどこまで全て喋っているかということでわかるわけです。

こんなこと言われたら、判断できるのは自分だけ、と言っているに等しい。滝本氏自身がかなり麻原的だ。つまり、オウム信者でいるか、やめたかも宗教的に判断してしまうことになり、訳分からなくなる。
だから、その後の滝本氏の発言、

皆さん行きつ戻りつしますからね、全然おかしくないんですよ。行きつ戻りつしますから。

も、当人の内面のことなのか、外界の教団へのIn&Outのことなのか外野にはさっぱり分からない。

さらに、

組織的にはやめたと言ってみても、カナリヤのサイトに名前が出してあって、グーグルで検索すると自分の名前が出ちゃう。自分が今までしてきたことが出ちゃうということで、「もう私は本当に脱会したんだから削除してくれ」と言って来た。でも、その中堅幹部がやめたという話はとんと聞いてないし、組織からは離れたということでは脱会者ではあるけど、話をしてみれば全然麻原さんのことが抜けていないので、「あなたはまだ現役だとしか思えない、重要な立場だったんだしその感じでは悪いけれど名前を消せない」と、カナリヤのサイトから名前を抜いていない人はいます。そういうものですよ。

なんて言われたら、この人は、滝本尊師からお墨付きをいただかない限り、曝し上げの私刑を受け、死ぬまで「オウム」の呪縛から免れないことになる。滝本氏はオウム信者に関しては弁護士の職務を逸脱して勝手に裁判官なのだ。中堅幹部だったからどうのじゃない。
大体、内面の自由は誰といえど保証されなければならない。いくら滝本氏がその判断能力があったとしても、それは所詮私的な個人の判断に過ぎない。
じゃあ、どうやって判断するかって? 判断できない。不可能。
人は内面ではなく、現実世界で何を行為したかでしか判断できない。法治国家は不完全であっても法治国家以上のことは求められないのだ。
人が「いい人」か「悪い人」かなんて測定するのは不可能だ。麻原を観想していてもいなくても、悪い奴は悪いし、いい人はいい人だ。だけど区別するのは不可能。成分解析すれば大抵は「50%はいい人で出来ています。50%は悪い人で出来ています」となるのがオチだろう。
ところで、泉さんはなぜ共同謀議法のことについて質問されなかったのだろう? 観想は個人の内面の問題だが共謀罪は組織の内面の問題で、これは微妙にこのインタビューに関連していると思うのだが。
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