予測≠予言

state of FearNHK未来への提言・マイクル・クライトン」(再放送)を見る。インタビュアーは生命科学者の中村桂子さん。NHKサイトの解説では、クライトンはテクノロジーの予言者の如く書かれているが、いずれもマスメディアで話題になる少し前に取り上げた程度の「予言」だ。第一、彼は予言と予測の区別すらできていない。
番組でクライトンはコンピューターシミュレーションによる100年後の温暖化予測を批判し、「実際にシミュレーションしたことがあるから分かるが、100年後のことなど当たる訳がない。予測されている数値は誤差の範囲内に過ぎない」と斬って捨てている。
彼は予測は当たらなければ意味がないと思っているようだ。つまり、当たらなければ意味がない予言と混同しているのだ。
予測が当たらないだろうことは、当のシミュレーションに携わっている研究者だって当然そう思っている筈だ。コンピューターではじく予測とは、一定の条件で時間が推移した場合に起こり得る可能性を呈示するものであり、最初から現実にそうなるかならないかなど想定していない。この傾向が続けば拙いかどうかチェックするためのツールに過ぎない。クライトンはイロハのイを知らないことになる。
彼はインタビューの中で、20世紀初めの馬車を乗り回していた人が現代の車社会を想像出来たろうか、と予測の困難性を強調する。答はスマートな人なら予測出来たとしか言い様が無い。だって自動車は19世紀に既に発明されていたもん。それよりも、半世紀前、21世紀初頭には月面基地も出来ていると予想されていた。アーサー・C.クラークの「2001年宇宙の旅」を観た私はそう信じていた。しかし、夢は現実を矮小化する方向に進んだ。
ツァラトゥストラはかく語りき↓byリヒャルト・シュトラウス

クライトンの目的は、実はそうな予測の拡大縮小問題ではない。20世紀初めの人々が馬車から撒き散らされる糞害を心配していたことと現代の二酸化炭素排出問題を同一視して、杞憂だと世論を誘導することだ。こんな比較全く憤慨物、いや噴飯物なのだが。
クライトンはこの本でブッシュ大統領ホワイトハウスに招待されたそうだが、本のタイトル「恐怖の存在」は「恐怖」によって人々を煽ることへの批判が込められている。歴代大統領の中で一番恐怖を煽って政権を維持しようとしている張本人に気に入られるということにクライトンは何も感じなかったのだろうか。
はっきり言って、こんなトンデモな人にインタビューしてしまった中村さんも災難だったと同情申し上げる。中村さんもクライトンの見解に批判的な質問を試みるのだが、やはり世界的ビッグネーム相手だと遠慮がちになってしまい、話が通じていないように思えた。
本自体は環境陰謀論がベースで、データも色々掲載されているが、どれもこれもご都合主義的で、三流ドタバタ劇に終わっている。「ジュラシック・パーク」で遊んでいる分にはいいのだけれど。
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