大義と他者のいない時代の自殺

livedoor ニュース:自殺者、8年連続で3万人超 自殺対策法、今国会で成立へ 景気回復を実感する前にいつの間にやら景気は史上最長の勢いで拡大しているらしい。けれども自殺者数は高止まり。

完全失業率は景気の遅行指数と呼ばれている。「戦後の自殺数の推移は、失業率の推移と全くというほど波が一致している」という説もあったけれど自殺者数はもはや失業者数とも関係ない
景気拡大と無関係に、生きる大義を持てるかどうかという大義指数が急速になくなっているのではないか。大義のない人生は大儀だ。

不思議な、感動をとおりこしたような空白感しかありませんでした。
今までの自分の生きていた世界がどこへ向かっていくのかそれが不思議でたまらなかった。
戦争に負けたらこの世界が崩壊するはずであるのにまだ周りの木々が濃い夏の光を浴びている

自殺した三島由紀夫終戦の日に感じた空白感だ。自殺者が急増し始めたのは、これまた自殺した江藤淳が、「文藝春秋」の1998年1月号で「第2の敗戦」と評した直後からだ。軍国日本も喪失し、経済大国日本も大義でなくなった。
空白のみが大義空位を継ぐという形容矛盾的なものが支配する時代はキツい。

自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くない

何かもっと名誉のある何かのためになる死に方をしたい

ここでいう名誉とは、平たく言えば、他人から認めてもらうことだろう。今、「他人を見下す若者たち」という本が売れているという。他人を見下すということは、実は自分を認めてもらえる他人が少なくなったことの裏返しではないだろうか。
大義というのは別に大層な「天皇陛下万歳!!」ということじゃない。生きている証を認めてもらう共通の強いシンボルだ。それがなくなると浅田彰の言う「現実主義という名のイデオロギー」という自己撞着的なイデオロギーしか蔓延らない。これは100%「現実」という実は訳の分からないものを受容してしまうこと。残ったのは単純に勝ち組負け組、アナーキーではなく法治下での弱肉強食だからなお始末が悪い。
その結果、多様性がなくなり、同調主義の乱高下、今の株式市場のようなものだ。同調と同調の時系列的差異を利用したポジショントーク、必殺掌返し、およそ大義から最も縁遠い極北の時代だ。
かくして、自分のためだけにしか生きられないのなら自分のためだけしか死ねない自殺が大量生産される時代になった。
三島由紀夫天人五衰」の中に「世界は彼なしでもまちがいなく希望に溢れていた」という章句がある。これは間違いなく自殺者の、現実主義への恨みの台詞だ。
へえぇ〜ならClick⇒人気blogランキングブログランキング・にほんブログ村へ