刺身(広告)のつま(原稿)

烏賀陽(うがや)弘道の音楽コラム:みなさん、さようなら。ブログ連載から降ります。 フリーライターの書く記事なんて出版社にとっては刺身のつまみたいなもので、世に出回っている大抵の雑誌は広告チラシのようなもんだ。実は記事が添え物なんだ。雑誌に限らず下らないテレビ番組もCMという刺身を食べるためのつまに過ぎない。
なぜかと言えば、世の中に是非にも伝えなければならないことなどそう多くないということだ。読者は口寂しいからチョコレートを齧るように雑誌や新書を読む。別に何かを知ろうとか、自分を高めようとかなどの古典的向上心などなく、時間潰し、腹減ったからスナック菓子食べるのだ。
ライターの心意気と読者の志の低さとの落差。
当たり前のことだが、情報量が多く手軽に入れれば入るほど情報の価値は下がる。そのために新聞には新聞紙と量を競うくらいの折込チラシを入れて部数を確保しようとする。部数を確保するのは広告料金を高止まりさせるためだ。
しかも価値の維持時間はどんどん身近くなっていて本だって今や大抵は雑誌のようなものだ。発売数日後にはアマゾンでは価格が暴落する。1年前、NHKを含めて作家本人がテレビに出まくって販促に務めたマッチポンプファンド的な村上龍出版ファンドの「半島を出よ」は定価1,995円が今は700円。本人も発売して1週間くらいが勝負と自覚していたからこそ煽りまくって売り抜け狙ったのだろう。この下落なんて価格的にまだましな方だろう。
月刊誌なんて発売時点で古くなっている。週刊誌も実質日刊紙と変わらない。情報温暖化現象で腐敗もすこぶる早い。
食品のように添加物加えるにもいかないから、回転率で自転車を維持するしかない。自転車操業して原稿の質落ちるのは必ずしもライターの責任ではないだろう。添加物の替わりに某画家のように世間に知られていない外国の画家を盗作するような実質コピペはふんだんに添加されているものもあるんだろう。だから本屋に行けば毎日飽きもせず恐ろしい数の新刊が並べられている。
ある大新聞社は今も1000万部を維持しているらしい。なんでかなと思う。これはマスコミ、広告業界にとどまらず紙パルプ、印刷業界を含めて巨大な陰謀の輪が張り巡らされているとしか思えん。
広告チラシの裏に書きたくない、純粋に書きたいことを本にして出版したいなら原稿用紙1枚につき1000円もらえるどころか逆に1000円以上支払わされる羽目になりかねない。
こういう時代、一番美味しい思いしているのは名義貸しできる立場の人たち。○○監訳だの△△監修だの□□責任編集って大抵は名義貸しと思っていていい。
名義貸しと言えば、村上ファンドのアドバイザリーボードだった日本銀行福井俊彦総裁や元通産審議官の中川勝弘トヨタ自動車副会長(この人、監訳までしている)なんて、そのおかげでもってすごい力を自分にも相手にも発揮できる。これぞセレブランド資本主義の精神だ。新興セレブランドはエスタブリッシュなセレブランドと結びついていた。村上龍は全て自分でやっている点でエラい。
404BNF:Fatal Abstractionを借用すれば、

恐ろしいのは、抽象を受け入れる個人の集団なのだ。抽象で束ねられた人々の力というのは、一人一人がほんのわずかな力を出すだけで、何十何百何千何万何億に害をなすことが可能となるのだから。

恐ろしいのは、名義を受け入れる個人の集団なのだ。名義で束ねられた人々の力というのは、一人一人がほんのわずかな力を出すだけで、何十億円を何千億円にファンドを膨らますことが可能となるのだから。

なのだ。
もちろん、天下りも実質名義貸しだ。ライブドアの臨時株主総会監査役に警察関係者が就任したそうだが、年収は上限5000万円とのこと。警察という名義はこの時期だからこそ凄味を発揮する。「株主には無配当かよ」と株主が文句言っていた。
結局、フリーライターライブドア株主に極めて近い立場であるという切ない結論になってしまった。これもクリック脳のなせる業なのか。
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烏賀陽(うがや)弘道の音楽コラム:みなさん、さようなら。ブログ連載から降ります。 フリーライターの書く記事なんて出版社にとっては刺身のつまみたいなもので、世に出回っている大抵の雑誌は広告チラシのようなもんだ。実は記事が添え物なんだ。雑誌に限らず下らないテレビ番組もCMという刺身を食べるためのつまに過ぎない。
なぜかと言えば、世の中に是非にも伝えなければならないことなどそう多くないということだ。読者は口寂しいからチョコレートを齧るように雑誌や新書を読む。別に何かを知ろうとか、自分を高めようとかなどの古典的向上心などなく、時間潰し、腹減ったからスナック菓子食べるのだ。
ライターの心意気と読者の志の低さとの落差。
当たり前のことだが、情報量が多く手軽に入れれば入るほど情報の価値は下がる。そのために新聞には新聞紙と量を競うくらいの折込チラシを入れて部数を確保しようとする。部数を確保するのは広告料金を高止まりさせるためだ。
しかも価値の維持時間はどんどん身近くなっていて本だって今や大抵は雑誌のようなものだ。発売数日後にはアマゾンでは価格が暴落する。1年前、NHKを含めて作家本人がテレビに出まくって販促に務めたマッチポンプファンド的な村上龍出版ファンドの「半島を出よ」は定価1,995円が今は700円。本人も発売して1週間くらいが勝負と自覚していたからこそ煽りまくって売り抜け狙ったのだろう。この下落なんて価格的にまだましな方だろう。
月刊誌なんて発売時点で古くなっている。週刊誌も実質日刊紙と変わらない。情報温暖化現象で腐敗もすこぶる早い。
食品のように添加物加えるにもいかないから、回転率で自転車を維持するしかない。自転車操業して原稿の質落ちるのは必ずしもライターの責任ではないだろう。添加物の替わりに某画家のように世間に知られていない外国の画家を盗作するような実質コピペはふんだんに添加されているものもあるんだろう。だから本屋に行けば毎日飽きもせず恐ろしい数の新刊が並べられている。
ある大新聞社は今も1000万部を維持しているらしい。なんでかなと思う。これはマスコミ、広告業界にとどまらず紙パルプ、印刷業界を含めて巨大な陰謀の輪が張り巡らされているとしか思えん。
広告チラシの裏に書きたくない、純粋に書きたいことを本にして出版したいなら原稿用紙1枚につき1000円もらえるどころか逆に1000円以上支払わされる羽目になりかねない。
こういう時代、一番美味しい思いしているのは名義貸しできる立場の人たち。○○監訳だの△△監修だの□□責任編集って大抵は名義貸しと思っていていい。
名義貸しと言えば、村上ファンドのアドバイザリーボードだった日本銀行福井俊彦総裁や元通産審議官の中川勝弘トヨタ自動車副会長(この人、監訳までしている)なんて、そのおかげでもってすごい力を自分にも相手にも発揮できる。これぞセレブランド資本主義の精神だ。新興セレブランドはエスタブリッシュなセレブランドと結びついていた。村上龍は全て自分でやっている点でエラい。
404BNF:Fatal Abstractionを借用すれば、

恐ろしいのは、抽象を受け入れる個人の集団なのだ。抽象で束ねられた人々の力というのは、一人一人がほんのわずかな力を出すだけで、何十何百何千何万何億に害をなすことが可能となるのだから。

恐ろしいのは、名義を受け入れる個人の集団なのだ。名義で束ねられた人々の力というのは、一人一人がほんのわずかな力を出すだけで、何十億円を何千億円にファンドを膨らますことが可能となるのだから。

なのだ。
もちろん、天下りも実質名義貸しだ。ライブドアの臨時株主総会監査役に警察関係者が就任したそうだが、年収は上限5000万円とのこと。警察という名義はこの時期だからこそ凄味を発揮する。「株主には無配当かよ」と株主が文句言っていた。
結局、フリーライターライブドア株主に極めて近い立場であるという切ない結論になってしまった。これもクリック脳のなせる業なのか。
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