日本は核武装する責任がある

極東アジアの不安定を招いている真因は、実は極東アジアの大国日本がそれにふさわしい政治的責任を果たして来なかったことに尽きるのではないか。その最たるは専守防衛・非核という政治的責任放棄にある。
はっきり言えば、専守防衛・非核と言っても、日米安保アメリカの核の傘にある限り、偽善の平和ブリッコである。
おめおめと拉致事件北朝鮮に繰り返されたのも、専守防衛・一国平和主義というおめでたくも独りよがりによってナメられたからにほかならない。北朝鮮が核やミサイルで脅すのは、日本が核武装しないとタカをくくっているからだ。その意味で、北朝鮮の核開発問題と拉致問題の本質は同じだ。
日本の株式市場が、ニューヨークなど先進諸国の市場に比べてボラティリティが高いのも、ちょっと中国が吼え、北朝鮮がわめくだけで地政学的リスクに晒されるという脆弱性があるのも一因だろう。日本の為替相場が経済力に見合わず円安にぶれているのも地政学的リスクのためだ。
喩えてみれば、核は中央銀行に保蔵された金のようなものだ。世界は金本位制でなくなったが、実は核本位制、ウラニウム本位制、プルトニウム本位制に移行したのだ。核の裏付けのない通貨は脆弱で、主要通貨とは言い難い。アメリカが巨額の財政赤字貿易赤字を抱えていながらドルが基軸通貨として通用しているのはひとえに圧倒的な核の裏付けがあるからにほかならない。
靖国参拝如きが外交カードに使われるのも、専守防衛・非核だから、相手は安心して攻撃できるのだ。
経済力によって世界に影響を与えられる日本にはそれ相応の武力的裏付けがなければ、タカリの対象にされるだけで、金をばら撒いても、結果的に有意義に使われない。睨みが効かないから援助相手にすらからなめられる。これでは世界に貢献するには大変非効率だ。
核武装が他国を侵略するためにあるなどと考えるのは時代錯誤だ。世界は今でも、脅威のバランスによって成り立っている。冷戦が終了して「歴史の終わり」などとはしゃいだフランシス・フクヤマとは裏腹に世界は今も準冷戦状態でむしろ不安定にさえなっている。
今もロシアは強力な核を保有して復活してこわもてでにらみを効かせている。ロシアがソ連崩壊の際、核を放棄していたら、今のロシアは欧米のハゲタカの思うがままに蚕食されていたろう。中国が核武装していなかったら、とうに分裂していたろう。この二大大国が団結すれば、実質冷戦時代と変わらない。
中東で戦争が絶えないのは、実はイスラム側に核保有国が1国もなかったからだ。その不足分がテロリズムという形で世界に拡散した。もし、イランが核武装すれば、不安定になるどころか中東に平和をもたらすだろう。
あるべき所に核がないから世界は不安定になる。これが世界の現実だ。
日本は世界平和に貢献するために核武装すべきだった。

本来なら、1970年代初めには核武装に着手しておくべきだった。当時、石原慎太郎核武装論者だったが、いつの間にか引っ込めてしまった。
アメリカがそれを望んでいないというのも嘘だ。これはタブーに触れたくないための政治家の逃げ口上に過ぎない。日本が核武装したとてアメリカには何の脅威もない。イギリス・フランスの核が何の脅威でないように。
すみやかに日本は憲法を改正し、核武装しなければならない。それが日本が世界に真に貢献する道だ。安倍晋三がなすべきことは、これしかない。
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