空気の嫁になれない

livedoor ニュース:場の空気が読める男 にはなりたくないし、なれない。大体、この見出し、なんで女でなくて男なのだろう。女は嫁に行くから読めるのか?
内田樹先生の処方箋、明らかに間違っているものがある。

会話において言葉が伝える情報は全体の10%程度で、あとの90%の情報は非言語的なものを介して伝わります。

本当に文字通り90%非言語的なら動物に近い。会話する必要なかろう。

●自然をジッと見つめる
 海、雲、動物などの動きをジッと見つめて観察する。

これはマズい。どう考えても、より浮世離れした性格になり、ますます世間の空気が読めなくなる。というよりも、周りから誤解され、周りがあなたの空気を読めなくなる。印象派画家のモネだったか、一日中、じっと自然の風景の光の変化を観察し続けて、周りの人に気味悪がられたそうだ。
空気が読めないというのは、何も個人がその他の周りの雰囲気を理解できないからだけではなく、逆に周りが個人を読めないこと、両側からの作用の合作に近い。
大体、自然の移ろいと会話の流れを一緒にする意味が全くない。

●集団で動く
 幼児期に集団で遊ぶ訓練をした子供は大人になってもコミュニケーションがうまい。

コミュニケーションと空気は、実は全く異質なものだ。前者は相互理解しようという意志に関係するものであり、後者は相互理解とは無関係に保身する意志と関係するものだ。むしろ後者は誤解の修正を拒絶するように作用する。

●育児を体験する

これは逆に「空気読めない人」を理解する訓練であって、「空気読めない人」が空気を読む訓練にはならない。

あらら、結局、全部間違っている。
では、どうすればいいか。諦めることだ。実は場の空気を支配している人は、空気なんか読んでいないことが多い。つまり、力関係だ。空気読めないという強迫観念に取り付かれるくらいなら、場の権力を奪い、無理矢理空気を乱した方がまだストレスたまらない分、ましだ。これは自殺予防にも有効だ。
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