ウラン本位制

現代のグローバルな経済体制をを支えているのは核兵器と、それを精確に世界のどこへも運搬できるミサイルシステムだ。この経済体制を金本位制になぞらえてウラン本位制と呼ぶことにする。
核兵器が単純に軍事における最強兵器、最終の政治カードだけのものというのは一知半解だ。より重要なのは世界の経済システムを根幹から支えているということだ。ウラン本位制は以前、「日本は核武装する責任がある」でも少し触れたが、今回はこれに絞って考えてみる。
全世界の人口65億人に共通する絶対的価値の源泉は死だ。死こそがありとあらゆる価値、経済的価値から芸術的価値、人々の生きる価値までを根底で支えている。全て有限の死という人類共通の運命を担保にして創り上げられた価値だ。
だとすれば、この人類共通の絶対的価値に裏付けられた貨幣システムこそが絶対最強の貨幣システムということになる。なぜなら国際通貨は人類共通の価値でなければ用をなさないからだ。
世界の信用体系は世界破滅の体系によって支えられている――このことは突飛なことではない。人々のそれぞれの人生の生きる価値も資産価値も、例外なくやがて確実に来る死を前提に組み立てられていることは1年前に書いた通りだ。
以前の金本位制、それに続くブレトンウッズ体制という金を基軸とした貨幣システムは、物質的に安定して希少な金属goldへのほぼ世界に共通する共同幻想に支えられていた。ブレトンウッズ体制も、アメリカの圧倒的金保有高に支えられていたから基本的に金本位制だ。
しかし、アメリカのベトナム戦争の泥沼化による財政赤字でこの体制も1971年に崩壊する。金が廃貨されるのは1978年のキングストン合意からだ。金は所詮、原始貨幣の貝殻同様、相対的な価値でしかなく、肥大化し、スピード化した世界経済を支えるには心もとないのだ。
世界の貨幣はgoldという裏付けをなくし糸の切れた凧の如くになってしまった。こんな貨幣体制で世界貿易が成立するのだろうか。
しかし、同時に「世界共通の価値」を裏付けるものが育って来た。核爆弾だ。1945年、アラモゴードで産声をあげた核爆弾は、ただそれだけでは世界共通の価値を支えるには至らない。世界共通となるからには、いつでも、どこからでも世界のどこにでも、精確に落とすことが出来なければ担保価値にならないのだ。核ミサイルがウランを金本位制に成り代わらせるまでに成熟したのは、ミニットマン3あたりからだろうか。ちょうど金が退場しかけたのと入れ替わりに登場したのだ。恐らく当時の世界の金融当局者も、こんなことを意識していたわけではないだろう。しかし、人間には総合的に勘案して物事を決定する能力がある。意識していなくても、この核ミサイルの成熟というのが、金廃貨に影響したことは疑いない。
これによって、米ドル紙幣は国内のみならず、世界中にばら撒かれることになった。世界は変動相場制という名目のウラン本位制になった。たとえ本家が財政赤字貿易赤字が膨らんでも、ドルの信認が揺るがないのは、ウラン及びその派生物であるプルトニウムの絶対運搬精確誘導可能距離量において他を圧倒しているからだ。ロシアの片田舎でも、アフリカの奥地でも、かの北朝鮮でも、ドルは信用されている。偽ドル作りの総本山、北朝鮮が偽核まがいの核実験をしたことはギャグのようだ。
では死という絶対的価値に裏付けられたウラン本位制は永遠か、と言えば、そうはならないだろう。どんなシステムにも耐用期限というものがある。ウラン本位制は「世界破滅幻想」に支えられているが、前世紀末から新たな「破滅幻想」が浮上している。地球温暖化による「地球破滅幻想」だ。これは、
地球破滅>世界破滅
なので、より強力だ。もし、ウラン本位制に取って代わるものがあるとしたら、人類のみならず自然をひっくるめた「炭素本位制」のようなものだろう。これについてはエントリーを改めていずれ考えることにしよう。
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