いじめは政治の延長だ

リアルに考えれば、そういうことだろう。国際社会にせよ、国にせよ、会社にせよおよそどの組織にも当てはまるのは、その世界で存在感を増す、地位を築く、出世するということは、いじめの裁量権を増やせるということだ。
「いじめた奴らを高く吊せ」という発想を持っていては、いじめは無くならない
むしろ大人の目の届かないところに深く潜り、陰湿化するだけである。(煩悩是道場)

これはお門違いなのだ。大人こそ陰湿いじめのプロであり、子供の陰湿いじめなぞまさに児戯に等しい。大人の世界ではいじめのスキルがなければ、相手に子供扱いされる。酷い世界だがこれがリアルというものだ。

戦争とは他の手段をもってする政治の延長である
あまりに有名なクラウゼヴィッツの名言だが、同じことは、
いじめとは他の手段をもってする政治の延長である
とも言い得るものだ。いじめは武器で行う戦争はなく、心理的内戦なのだ。よっていじめ自殺とは戦没者のようなものだ。
戦争解決に根本療法を求めるのは間違っているように、いじめの根本療法を否定する弾さんの主張は100%正しい。
よって、いじめ自殺から免れる方法は四つしかない。①相手を殺す②相手に脅威を与える③相手に寝返る④敵前逃亡――である。
①はかなり難しいし、自らも致命的損傷を受けかねない。よってlast resortとして取っておくしかない。②は北朝鮮核武装で実践している通り。敵ながら天晴れなところがあるのは認めざるを得ない。北朝鮮自身、いじめっ子であるが同時にいじめられないためにはどうすべきかということにも長けている。③NHK功名が辻」の関が原の戦いに好個の例がある。徳川家康は日本史上最強のいじめっ子だった④これは、逃げることは、決して負けではない :NBonline(日経ビジネス オンライン)など宋文洲さんの十八番だが、いかんせん、逃げ通すのは難しい。リアルな戦争(実際、宋さんが母国で味わったいじめは、どちらかと言えば、心理的内戦というよりもリアルな内戦の派生物である)なら空間的逃避も可能だが、心理的内戦による負傷は、たとえ空間移動しても、その新たな環境でも、心理的負傷はすぐに周りから見抜かれて攻撃される。そして、実は究極の逃げ場所は自殺なのだということを忘れると、「逃げろ逃げろ」は「死ね死ね」に容易に変換し得るのだ。
いじめられている人達は自分が戦場に立たされているという感覚が希薄なのかもしれない。誰かが自分を救うべきだ、救われるのが正当なのだと考えてしまいがちだ。しかし、戦場では、そんな論理は通用しないのだ。
いじめから脱却する手始めは、まず自分が戦場にいるのだというリアルな自覚から始まる。そうすれば、必死で相手の弱点を考えるようになる。相手を必死に研究するようになる。文字通り必死で。そういう切迫感なくしていじめから逃れることはまずできない。これがリアルな世界だ。
戦場では、根本療法などといういかがわしいことなど考えている暇などないのだ。
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