powerfulでない訳

livedoor ニュース:[横田めぐみ物語]日米政府関係者ら招きワシントンで試写会 昨夕、このテレビニュース見ていたら、何人かの米政府高官が「powerful」と感想を述べていたが、字幕では「力強い」になっている。およそ映画の中身と不似合いな感想とすぐわかる筈なのになぜこんな「変な日本語」になってしまうのか。
さすがに新聞では、点検が入念なのか、「心動かされる」のような適訳になっていたが、意外と「powerful=力強い」という固定観念が英語に携わる仕事の人々の間にさえ多いと実感させられる。国語力の低下も底流にありそうだ。
よく日本人の英語べたは、学校教育が読んで訳すことに偏重しているからという議論が多いけれど、これすら固定観念に思え、実は読む訓練さえまともにされていなかったように今にして思う。昔、豆単なんてのが流行ったが、実は辞書さえまともに調べない、1単語1意味原則でリーディングの勉強が常態化していたのではと思う。まともな辞書を調べれば、「心動かされる」とか「説得力のある」のような訳も載っている。powerfulのような誰でも知ってそうな単語も実はよく知られていないということだ。
英語が苦手なのは、一番日常的に使われる頻出語が実は一番ないがしろにされているからじゃないかと。頻出語は文脈次第で融通無碍に意味が変化するので、丹念に辞書で意味を調べないと語感が身に付かない。あっちの国で日常生活営んでいたのならいざ知らず。
小学生から英語教育するという学校が増えているようだけれど、結局同じか、あるいはもっと英語力が落ちる悪寒がする。保育園じゃあるまいし、ネイティブの先生呼んで英語のお遊戯しても、仕方なさそうな気がする。
かつて三島由紀夫は小説を書く方法を問われて、辞書を食ってしまうくらい辞書を読むことだというようなことを言っていた。実際、三島は幼少の頃から辞書に親しんでいた。言葉に熟達しなければ何も書けないのだ。
ネイティブでない人が英語を学ぶことは小説を書くのに似ている。母国語が染み込んだ脳内に別の世界を築くことだから。
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