「普通においしい」と瀕死の品詞・形容動詞

「普通においしい」という言葉の意味さえ分からないと言ってる人は、本人はそれで「美しい日本語」を守ってるような気になってるんでしょうけど、言葉に対して、無意味に硬直した態度に陥っているとしか思えません。(平野啓一郎公式ブログ - 「普通においしい」)に対し、これに同意する一方、やはり「普通においしい」を普通に使えるようにするためには、単に日常使うだけではなくて、それを辞書化しておきたい(404 Blog Not Found)という。辞書化する必要などない。普通に通じるからだ。
「普通」と「おいしい」が辞書に載っていれば、「普通においしい」は普通に通じる。理解できないのは、文脈に対する適応力、つまり国語力の問題だろう。
平野さんの説明も舌足らずだ。

たとえば、ブルーチーズを食べたとき、人は、「クセがあるけどおいしい」という言い方をします。そんなふうに条件や留保をつける必要のある食べ物とは違って、ストレートに、一般の誰もが「おいしい」と同意するであろうような味の食べ物(あるいはその水準に達している食べ物)を食したときに、現代人は「普通においしい」と言うわけです。

↑の場合、単に「おいしい」で済む。「普通においしい」は、(ブルーチーズのような)一般にクセのあるおいしさと思われている、あるいは思われるかもしれない、あるいは誰かがそう思ったものに対し、「私は別に違和感なくおいしいと思う」という意味だ。それが流行して違和感のなさがあろうがなかろうが乱用されただけ。乱用部分は普通に流行語だ。
そして、そのオリジナルの用法は、本来形容動詞(らしい。大体、形容動詞自体が曖昧な瀕死の品詞だ)のはずが形容詞を修飾する副詞のような使われ方をしている点で新しいのかもしれないが「普通」という意味さえ知っていれば、理解可能。30年前に突然言われても、30年前の人も普通に理解できる表現だ。
そんな程度の「新しい表現」を辞書に載せるなど愚の骨頂だろう。普通に流行語の部分をなんで載せなきゃいかんのか。変えなければいけないのは、もっと根本的な品詞のあり方かもしれない。どうも新表現というのは、文法の一番脆弱な部分を突いて突破しているような気がするからだ。
へえぇ〜ならClick⇒人気blogランキングブログランキング・にほんブログ村へ