夢ある人≒頑張れ礼賛主義

[切断遺体]殺害された亜澄さん、女優の夢追い この殺された女性、夢のある人=頑張る人=いい人、という固定観念で世の中を見ていたみたいで嫌だ。
夢を持つことは、そんなに偉いことなのかと思いたくなる。ましてや他人に自慢することでもないだろう。他人をそれでもって軽蔑する理由にもならんだろう。
はっきり言って、兄貴に同情したくなる。
他人から見て分かり易い夢なんて大した夢でない場合が多い。分かり易い夢を持ち、それをこれ見よがしにするのは、自己サンドイッチマンみたいなもので、ある意味うざい。
他人から見て分かり難い夢、自分ですら分かり難い夢を持つ人間は、他人に承認されにくい夢であり、そういう分かり難い夢を抱いている人間はこの世を生き難い。兄貴がどんな夢を持っていたか、あるいは持っていなかったが知らないが、「夢がない」と断定された時点で「お前はダメ人間」の宣告なのだ。夢を持つことが道徳化し、夢を持たないことは非道徳と言わんばかりだ。
他人の夢などそんな簡単に分かるわけもないのに、とかくこの世は分かり易さ優先社会だ。夢を売り物にする人間ほど夢のないうざい存在はない。私頑張ってます、を売り物にする人間ほど夢のないうざい存在はない。
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