映画「パフューム ある人殺しの物語」と三島由紀夫

perfume0「パフューム ある人殺しの物語」を見て、なぜかしら三島由紀夫の「仮面の告白」を思い出してしまった。
のっけから主人公グルヌイユが魚のはらわたにまみれた悪臭の中で産み落とされた場面を見せられると、「生れたときの光景を見たことがある」(「仮面の告白」)という有名な章句を思い出さずにおれない。彼が天性の香りを嗅ぎ分ける才能を身に付けたのはまさにこの生まれた場所の悪臭に尽きる。その悪臭は、「仮面の告白」に出て来る「汚穢屋」に通じる「悲劇的なもの」を感じさせる。言葉にまみれて育った三島が言葉の才能を得たように。

perfume仮面の告白

グルヌイユが果物売りの少女の香りに魅せられ心ならずも殺害したのは「仮面の告白」の主人公が園子に接吻しても何も感じず、結ばれなかったこととよく似ている。実は同性愛という仮面をかぶらざるを得ないほど人生に臆病だったのだ。
グルヌイユ自身の体臭がないというのも、三島自身の空虚、「仮面」の内側の空虚とよく似ている。洞窟で寝泊りした時、ここには香りが感じれないので安寧する姿は、むしろ痛ましい。女の香りの保存法を追求するというのは三島の「絶対」と「永遠の美」と通じている。
ラストでグルヌイユも少女を思い出し、涙を流すのは、あの時、なぜ彼女を普通に愛せなかったのかという己の運命への呪いだ。 perfume3

グルヌイユのその後の人生は、嗅覚でしか女性に愛を表現できない呪われた者の殺人遍歴だ。最初の少女の最高の代役が貴族の生娘というのも皇室に嫁ぐ聡子に恋焦がれる「春の雪」とよく似ている。

ドラマはシリアスに進むが、いざ処刑になった途端、一気にコミカルな滑稽さに変調するのはなんてことか。あの場面、三島の市ヶ谷でのバルコニー演説のパロディかよ、なんて思ってしまう。まあ、原作者Patrick Süskindはドイツ人だから、ヒトラーのパロディなのかもしれないが。グルヌイユも生まれた場所に戻り、民衆に食われて果てるのだが、少年時代の生々しい記憶である二・二六事件の世界に戻ってパロディを演じて割腹自殺した三島に似ているんだよなあ。

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