ガイアの復讐〜迫られる究極の選択

gaiaもう人類は、というか地球は地球温暖化で引き返せないpoint of no returnを超えてしまったかもしれない、というのがウリらしいけれど、少し物足りない。生命は地球内で滅びるか 、地球外に生き延びるかの究極の選択を強いられているという認識がないのだ。

ガイアのホメオタシス(恒常性)機能も限界に迫っており、10億年経てば、太陽光度が増してどうせ生命の棲めない惑星になるのは確実だ。地質学的レベルで言えば、10億年というのは大した将来じゃない。もうすぐだ。もっとも、10億年といっても、その時生存可能生物はバクテリアレベルだろうから人類はそれ以前にとっくに滅んでいるに違いない。

だから以下のような件は違和感を覚える。

しかも彼女(ガイア)がこれほど苦労しているのに、他の惑星までも征服しようと夢見る理屈っぽい部族主義の動物、つまり人間が、自分たちの利益だけのために地球を支配しようとしている。彼らは驚くほどの横柄さで、ガイアが酸素を適切な濃度に保つために埋めておいた炭素の蓄えを掘り出し、燃やした。(235頁)

人類がガイアと心中する気はないことは、生命の根源的な本能のようで、単純に利己的に他の惑星まで征服しようとしている訳ではないだろう。宇宙旅行の夢は生命の生存本能に根ざしたものではないのか。

脱出を準備するにはテクノロジーの発達が欠かせない。テクノロジーを発達させるためには、蓄えられた化石燃料を膨大に使用しなければならない。少なくともそのインフラが整備されるまでは。ある意味、生命が気の遠くなる時間でコツコツ蓄えたへそくりは、脱出準備のためだとすら考えられないだろうか。

だから、

産業社会のイデオロギーを駆り立てるのは、経済成長や、限りなき生活水準の向上や、技術改良への信頼(239頁)

というのは、いささか皮相的だろう。人間は利己的でも無意識により大きな目的に向かう性質があるようだ。

というわけで目下、人類は一応月まで辿り着けたが、別の棲みやすい恒星系を発見し、辿り着いて定住できるまで気の遠くなるような苦難がまだ待っている。あるいはこれまでの有機的生命じゃどうしようもないので、移動に耐えられる人工生命を発達させて有機的生命の遺産を引き継がせる手もあるが、そこまで行くにも気が遠くなるような道程が待っている。窮余の策として、せめて生命が棲めそうな惑星を見つけて再び知的生命に発達してくれるのを期待するしかないだろう。

問題はそこまでいく前に地球がもっているのかどうかだ。10億年以内に滅びるのではなく、へたしたら数百年以内に滅びるかもしれない。けれど、脱出準備努力しないと10億年以内には確実に滅ぶ。テクノロジーの進歩をほどほどに抑えて10億年で滅びることを選択するか、リスクはあるけれど更にテクノロジーを発達させて10億年後も生き延びるために更に頑張るか――。

10億年で生命やめますか、それとも? という究極の選択の問題だ。

いやはや困ったものだ。この按配をうまくしないと大変なことになりかねない。綱渡りであっちへ無事着くか、危険な綱渡りをやめて10億年でOKするかどうかだ。

しかし、生命の代表選手人類は頑張らねばならぬだろう。ほかに誰が滅び行く惑星から脱出できるというのか。けれど、頑張り過ぎると地球が過労死しそうだ。いずれにせよ困ったものなのだ。

ジェームズ・ラブロックによれば、もう大変なところを通過中ないし通過しつつあるということだ。多分そうだろう。持続可能エネルギーも省エネも大して役に立たない。京都議定書は論外だ。

人類はガイアシステムに大いなる影響力を持つ大株主になってしまった。物質的大気の組成を気にするのは重要だが、そればかり考えても仕方がない。物理的に感じられない大気が物凄い勢いで増えている。通貨という大気が。この新種の大気は、太古に酸素がそうであったようにガイアの一部を滅ぼす公害ガスだ。人類はある面、通貨という大気を呼吸する新種の生命体なのだ。

それじゃ、やり繰りする方法は自ずと見えて来る。取り敢えず化石燃料起源の二酸化炭素と通貨の為替市場創設でもして炭素本位制を確立し、このジレンマの間を裁定取引するしかないだろう。

Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 環境ブログ 環境学へ