芸能界におけるバブルの作られ方

これはさすがに梅宮アンナクラスの釣りではないでしょうか。(喫煙でクビも芸のうち? hakohuguさんのコメント 梅宮アンナの釣りって具体的に何なのかよく分からないけれど、「メタタレント」活動としての羽賀研二との交際は芸能史上を飾るものだろう。
タレントという以上、何かタレント=才能=芸、歌とか語りとか演技とかが基本的になければならないはずだが、このかつてのカップルは、お互いのやりとりでもってタレントを超えたメタタレントの売買を繰り返し、タレントとしての価値を向上させた稀有なカップルだったと言える。
梅宮アンナは大御所梅宮辰夫の娘という原資にしてもっぱらモデルとしてならしたが、メジャーなタレントとは言えなかった。羽賀と交際を始めるまでは。
羽賀は羽賀でいいとも青年隊だったけれど、今ひとつ決め手がなかった。
ところが2人の交際が発覚するや、この2人の知名度はワイドショーによってインフレスパイラルを起こす。
その原理はまず羽賀は「アンナの恋人」としてのメタタレントを獲得⇒アンナは「羽賀の恋人」としてのメタタレントを付加した⇒以下ループという循環論法の罠に陥って、知名度だけがインフレスパイラルした。
こうして2人は長い交際の中で、求婚、アンナパパの介入による燃料注入など様々なネガティブな破局(売り)、ポジティブなより戻し(買い)の話題を交互に提供し、ワイドショー相場を賑わせることに成功した。
気が付けば、アンナって元々何のタレントだったの? 羽賀ってもともと何してた人? という素朴な疑問は横にやられ、「実体芸能活動」なしで人気だけが鰻上りした。「上がるから買う。買うから上がる」という芸能界版バブルの誕生だ。
こういう極端な現象は、記憶する限り経済バブルが弾ける以前はなかったろう。以前は「本来」の芸能活動という「実体」に基づいたゴシップで、離婚、不倫にしてもよほどの大物しか騒がれなかった。
しかし、離婚、不倫に対する道徳的許容度の低下=規制緩和によって、「芸能活動」の定義自体が規制緩和された趣がある。その結果、仕掛け的なトピックが増産され、今や芸能人の定義自体が一昔と違ってきている。
その点からすると、「18歳年上の男」「喫煙」女子タレントに興味わきます?というコメント( d_d-さん)も、良識として正しくても芸能界のメタ良識からすると、脇に置かれる可能性がある。
翻って、近年、芸能人の世襲化も芸能人の定義の変容と関係する。芸はさておいてまず有名であることが芸能人の第一条件なのだから、世襲の方が圧倒的に有利なことは言うまでもない。経済には独占禁止法はあるが芸能界には知名度独占禁止法はないのだ。現代は経済的格差社会以上に知名度格差社会であることは昨今の選挙情勢を見ても分かる。
これもすべてカネ余りならぬ情報余りセレブランド資本主義あるいは情報温暖化社会のなせる業だろう。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキング