デザイン公害

「NHKクローズアップ現代」4月3日“デザインの力”が世界を制す〜問われる日本の戦略〜 デザインも行き過ぎると公害になることは以前書いた。はっきし言ってアリ形迷惑だ。
英国や韓国は国家がバックアップ、「デザイン立国」を目指している。このままでは「潜在的には高いレベルの日本のデザイン力が活かされない」と危機感を抱くデザイナーの三宅一生氏は、今春、21_21 DESIGN SIGHT(六本木)をオープンしたとか。
ラーメンのレンゲの形にヒントを得て冷蔵庫の取っ手のデザインに生かす韓国電機メーカーだの、「チョコレートの意識の中心を変える」だのとかで、世にも奇妙なチョコレートの「デザイン」を試作している人などなど。
世の中、物が余ってデザインでも変えないと競争に勝てないのは良く分かる。というか、デザインで勝負しないと物を買ってもらえないのだ。
「デザイン」が大きな鍵を握る時代となってきたとは、要するに製品の買換え需要を無理矢理喚起させるための最終兵器なのだ。大体においてデザインに注力される製品というのは、基本的にデザインなどどっちでもよさげな物ばっかだ。
で、ユーザー側としてはデザイナーの「意識のずらし」に対応するため、余計なことに神経を使わねばならない。冷蔵庫やチョコレートとか私物なら買わなければいいだけだからまだいいけれど、以前書いた公共の洗面所の蛇口などのようなものだと、極端に言えば新しいビルが建つたびに、「今度はどうすれば水が出て来る?」と悩まなければならなくなる。
どーせ、都心にどんどん出来ている最新ビルはなんでも最先端の特注じゃないと気が済まないような強迫観念でもって微に入り細にわたり斬新で創造的に設計されているだろうから、ますますワケワカメな蛇口が出現していることだろう。東京ミッドタウンなんてどうなんだろ?
で、これらのデザインが斬新で創造的かといえば、ちっとも斬新でも創造的でもない。
もういやというほど「有り触れた斬新さ」「有り触れた創造性」という形容矛盾的下らなさの、使い捨ての斬新さ、使い捨ての創造性に付き合わされる精神的疲労、時間のロスをどうしてくれる。最近、街を歩くたびに襲われるのは巨大なガラクタ感覚だ。昔ガラクタ玩具屋の中で感じた雰囲気が思い切り斬新な形で街全体を覆ってしまったという感覚だ。更に製品の回転率を早めようとするのだから、資源の無駄遣いでもあるから、二重三重の意味でデザイン公害である。
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