江戸時代2.0

映画「ALWAYS三丁目の夕日」は安倍晋三著「美しい国へ」にも引用され、日本人が失った共同体の存在した時代へのノスタルジアからか大ヒットして続編が11月に公開するそうたが、実際には、描かれた1950年代後半の方が今よりはるかに格差社会だったという。懐かしがられるのは、実はあの時代から格差が縮小し始めたからではないか。
格差という点で大雑把に日本の歴史を見れば、恐らく第一次格差社会は貴族栄華の平安時代、武士の台頭で「1192造ろう鎌倉幕府」あたりから格差一応縮小、室町時代金閣銀閣あたりが武家の貴族化で第二次格差社会とあいなった。そして、NHK大河ドラマで人気の戦国時代で再び格差是正、その反動としてのミニバブル的格差社会安土桃山時代を経て江戸時代に安定した第三次格差社会となる。とはいえ、格差が固定されてしまった時代が延々と300年続いたために格差が人々の間で意識されずらかったという点で特異かもしれない。
やがて明治維新となり、格差が一応縮小する。しかし、ここまでの格差縮小期というのはご破算で願いましてはであって、常に次の格差社会への胚胎期であって格差は広まる運命にあった。戦前までは第四次格差社会で、大財閥、貴族院議員の時代だった。
そして終戦財閥解体、農地解放などで再び格差縮小期を迎えた。「三丁目の夕日」はまさに格差が縮小し、しかも次の格差社会の準備期間でもなかったという点で特別に幸せな時期だったかもしれない。
先般亡くなった植木等が演じた「無責任男シリーズ」の主人公「平均(たいら・ひとし)」とはまさに格差が縮み「平等」になる社会のシンボルとなった。あの時代、給料は年々上がるものだったわけで「♪サラリーマンは気軽な稼業ときたもんだ」だったのだ。1970年代に入って「1億総中流」などと言われるようになったのは開闢以来の出来事だったのかと思う。資産も増えたがそれを補うくらい給料も上がったために資産格差は意識されなかった。
しかし、幸せな時代はやはり例外で、バブル時代になるとさすがに資産インフレに追いつけるほど給料は上がらなくなり、「持てる者と持たざる者」という言葉が流通した。
バブル崩壊で本格的に格差が揺らぐ時代に入る。資産も減り、給料も上がらない。普通なら格差が縮まるはずだが、なぜかそうはならない。
経済のグローバル化? それもあるけれど本質的なものじゃないだろう。
地価に代わって情報が価値形成の主導権を握ったからだと思う。別にIT長者のことを言っているのじゃない。彼らとて経済的には強者でも所詮政治的には弱者だ。
強者は情報による価値形成で最も恩恵を受ける知名度資産階級だ。彼らは知名度資産があっただけで、情報量の流通の増大とともにその資産価値を労せずして膨大に増大させた。これが本当の情報格差(デジタルディバイド)というものだろう。これが第五次格差社会の本質というものだ。
ITで平等化になるなんて勘違いだろう。ITで労働力が必要でなくなったばかりでなく、例えば「納豆でダイエットできる」という情報が流通するだけで儲けられるのだから、額に汗して働かなくても利益が得られる時代になった。これはもちろんモノだけでなくヒトにも当てはまる。
このような社会では超世襲同士の総裁選でも触れたが、世襲はもっとも効率的に上に昇る手段であり、現在の世襲制度は血縁というよりも知名度であり、いかに情報をばらまくかがいかにカネをばらまくより重要になった。それを差配するマスコミや広告業界の給料が高いのは、なぜか土地本位制時代の不動産屋とよく似ている。
目ざといホリエモンはそれを自覚的に悟って自分自身の価値を上げようとしたが、いかんせん知名度資産というのはそれなりにインフラが必要であって、ただバブル的に知名度を上げても弾け易い。結局使い捨てられた。
元々世襲的体質だった芸能界がますます世襲化し、政治が芸能化、国会が芸能化するのを見れば、世襲議員がはびこるのはむべなるかなで、世襲議員というのは新しい貴族院議員なのだろう。気が付けば知名度で格差が固定化した江戸時代2.0というオチになるのだろうか。今度の参院選は95年衆院選にもましてとんでもない選挙になるかもしれない。
植木等の時代のようにゴマすれば出世できる時代はむしろ格差是正の時代であって、そのうちゴマすっても大して出世できない時代が来るかもしれない。グーグル検索じゃないけれど、上位5位以下は存在しないも同然のような時代が。
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