あるある官僚制

池田信夫 blog:日本のコンテンツ産業、衰退の真因 民放の番組がくだらない原因は、視聴者がくだらない番組を求めるからだが、もう一つの原因は制作能力の低さにある。
ハコフグマン:やくみつるは現場の敵か 現場にすべてのしわ寄せがくる無理な制作体制が、こういう事件を引き起こしたのは言うまでもない。
昔、プロレス中継はNHKでもやっていたそうだ。一昔前は大物政治家がプロレスのコミッショナーだった。
今から思えばなんか違和感あるのだけれど、結局、時代の空気が変わったとしか説明がつけられない。テレビ局が利口になったとか、視聴者が利口になったとか、とはちょっと違うと思う。
村社会がそのまんま国になったような国において、マスメディアを軸とする日本社会はきわめて村社会的で、現場に制作能力がないとか、現場にすべてのしわ寄せがくるとかで、あるある大事典事件が説明できるとは思えない。「視聴者がくだらない番組を求めるから」というのは、極めて戦後民主主義的文法で、「上部構造」も「現場」も、単にその番組の雰囲気に従ってそれぞれ努力した結果じゃなかろうか。つまり、「あるある」は「あるある」らしく、NHKNHKらしく振舞うということだけだ。
視聴者は求めていなかったと思う。ただテーブルに出された皿を平らげただけだ。求めた気になったかもしれないが、それもまたその時々の空気で、どっちがどっちか分からない。
仮に「現場」が報酬的に、職場環境的に、恵まれていたとしたら、この事件は起きなかったか? 多分、起きていたろう。
起きない根拠が分からない。美味しい職業なら職業で、むしろますます甲斐を感じて捏造に励んでいた可能性の方が大きい気がする。
仮に制作能力が高かったら、この事件は起きなかったか? 多分、起きていたろう。
むしろ、彼らは嗅覚的にどうすれば視聴率取れるか、反響を得られるかの手練に長けており、その意味で有能だ。記者的な裏を取る能力とか構成能力は、実はむしろ余計で、無駄だから身に付かなかっただけじゃないのか。そもそも構成力って記者的なものはともかく、捏造には不可欠な能力じゃなかったけ?
会見を聞いて、事前に視聴した幹部は「外国の教授の英語の声が日本語のナレーションとかぶって、よく聞き取れなかった」と恥ずかしげもなく、言っていた。聞き取れないのが恥ずかしいのじゃない。聞き取れなければ、別々に聞いてチェックしなかったことに恥を感じないでいることだ。
つまり、事前の視聴は内容の事実関係のチェックとは何の関係もない、視聴者に受けるかどうかをチェックしていただけなんだろう。←報酬たっぷり受けているのになんでこんなぬるいのか。
事実はどうでもよいネタに過ぎない。「他人にどう思われるか、見えるか」が日本的前提であるらしい。
だから謝罪するのは決まって「世間の皆様をお騒がせしたことをお詫びします」またはその別バージョンであって、「事実解明」は「世間」が納得するかどうかが大前提となる。
結局、これ、マスメディアの問題じゃなくて、村社会官僚制(公務員だけに限るのは不当だ)の問題なのかと。コミュニティは崩壊しても、マスコミを軸とする大コミュニティは巨大に存在している。こういう空気醸成のメカニズムって、雲をつかむようで捕らえにくいから、結局時間が経てばまた元に戻る。
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