ネットの国境はリアルな国境より高いかも

世界市民」を生み出すと思われていたインターネットは、その成熟にともなって各国語のサイトが整備されるにつれて、むしろナショナリズムを強めるメディアになりつつある。国際的なトラフィックが国内を上回ると予想してテラビットの回線を世界中に敷設したグローバル・クロッシングは破綻し、今では日本のトラフィックの8割以上は国内で完結する。 (池田信夫 blog:なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか)
ということは、2割近くのトラフィックが国際間ということだろうから、これはこれで凄いことだと、例によって逆バリ思考してしまう。
例えば、2割近くの国内日本人が英字新聞など外国字紙(誌)を購読している状況は想像しにくい。その意味からすると、確かにインターネットは「世界市民度」を上げたろう。
国境というのは地理学的国境=遠くて行けない、時間の国境=行きたくても時間がない、カネの国境=行きたくてもカネがない、心の国境=行きたくても言葉に自信がない、異国に不案内だ――とまあリアルな世界でもこれだけある。
大型ジャンボ機などで航空運賃が低下し、地理学的国境もカネの国境も崩れ始め、円の地位の向上で更に崩れた。余暇時間の増加とあいまって時間も国境でなくなりつつある。年間2000万人だったかの海外渡航者、この比率も2割に近い。
インターネットとなると、もう最初から地理学的国境も、時間の国境も、カネの国境もない。残るはBABELのみ。まあ、2割近くもあれば十分に「世界市民的」メディアだ。だが、こんなもんだろうとも思う。
それに、想像するにこの「2割近く」というのも圧倒的に入超に違いなく、日本人はただ見ているだけ、見てもらうのは極めて限られていると考えると、実質限りなく100%に近いと思われるのだけれど。
入超といえば、変なたとえだが、食糧自給率40%ということ考えると、なぜ右翼はもっと「現在の食糧自給率は亡国だ」とか街宣車で雄叫び上げてもいいはずだが、聞いたことない。こっちの方がよっぽど国境の壁がなくなっており、「国辱的」であるはずだ――ととりとめもなく思う。
リアルな共同体の基礎って、動かせないもののことだ。動かせるものはどんどん国境を越える。
土地に依拠した農業がその典型で、その基盤が崩れていてもさして騒がれず、なぜか右翼はネットに向かう。でもネットでも「食糧自給率は日本の基盤」なんて主張見たことない。
ネットには国境がない。しかし、それぞれ次元の違う空間が無際限に重なっているためにかえって交わることが難しい。
ネットは時間と空間から人を自由にしたが、自由な世界故に共通基盤がなくなって多次元的島宇宙が無数に広がり、日本語としては共通でも結局BABELになりつつある。右翼がネットに蔓延ったというより、右翼的島宇宙が肥大し、むしろそれ故にそれぞれが自己完結してしまったような世界――。
この次元間の国境はリアルな国境よりもっと絶望的に高くなっていないか。インターネットによる想像の共同体の強化というのも、それぞれの島宇宙内のことであって、日本国内で言えば、ネットによって更に「想像の共同体」がバラバラになっているような気がする。つまり物理的だけでなく心理的にも却ってお互いが遠くなってしまうというような。
まあ、なるようになるしかならないのだけれど。
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