三島由紀夫にも筆の誤り?

kinkakuji知人に三島由紀夫ヲタな人がいて、その人いわく「金閣寺」に書き間違いとしか思えない箇所があり、出版後、半世紀経ているのに「そのまま」になっているという。もうこの小説を5、6回読んでいる人だ。
どこの箇所だと尋ねると、「金閣寺」第4章後半部にある比叡山の記述という。手元にある新潮文庫(93刷)で確かめると、96ページにあった。
古い煉瓦の門は、電車通りと、大学のグラウンドを隔てて、西の空にたたなわる比叡山に対している。
大学とは、主人公溝口が通う実在の大谷大学京都市街にあり、描かれているのは東側正門から入ったところにある大谷大学尋源館[旧本館](国登録有形文化財)だ。どう考えても比叡山は「東の空」になければおかしい。
私も読んでいたのに気付かなかった。ま、よほどその気になって気合入れて読まないと読み流してしまうだろうなあ。
ネットで調べてみると、実は既にここのサイトで指摘されていたし、これまでにも指摘されているみたいだ。ま、そうだろうなあ。
ところが、このサイトでは、
平安時代頃までの京都では、御所を中心にして東西南北を呼んでいました。あえてこういう呼び方をされた三島先生は京都通! と感激し、嬉しくなりました。
と、指摘した山猫火氏はあくまで三島由紀夫が間違っていないと解釈しているし、三島研究家の佐藤秀明氏も
ここは「現代の言い方」でなければならないところですから、山猫火さんのような優雅な解釈は、冥界の三島を喜ばすことにはなるでしょう。
と好意的だ。
しかし、同じサイトで指摘されているように御所を中心にしていようが、東は東、西は西だ。恐らく、御所は南に向いているので東側を左京、西側を右京と言っていたことと混同しているのではないだろうか。
三島由紀夫って、やっぱり「間違えるわけがない、完璧な文章を書く人」と思い込まれ易い人のようだ。三島の誤りなのか、出版社の誤りなのか、定かではないけれど。
権威になってしまうと明らかに間違いでも間違いを指摘するのに勇気がいるのはもちろん文学に限ったことじゃない。出版社だって気付いていたかもしれないが、三島本人に聞きつらかったってこともあるかもしれない。
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