終戦の日の皇室の祈り、吉永小百合の祈り

ひめゆりの塔日活・1968年作品。昨日、「あゝひめゆりの塔」を観て初めて気付いたけれど、吉永小百合終戦の年の1945年生まれで、23歳の時の作品。自身が反戦反核がライフワークらしく道理でこの時期、NHKに重宝されるわけだ。ちなみに向かって左のもう一人の美人は日本のアン・バンクロフト和泉雅子。私的には、もう引退したこの人が懐かしいのだけれど。
まことに清純な映画で一度くらいあっていい浜田光夫とのラブシーンもない。時代がそうだったわけでもない。吉永小百合といえば、それはそれは皇室に嫁がなかった美智子皇后のような高貴なお方なのだ。皇室ご一家が終戦の日に平和への祈りを捧げられることと吉永小百合原爆詩を朗読することとは心理的にほとんど同一視されているかのようだ。そのことは長嶋茂雄が球界を越えて天皇心理的に同一視されていることとよく似ている。(多分、原辰徳監督が勇退した後の次期巨人軍監督は長嶋一茂だろう)。
昔から、大根との評判はあったが、川端康成などの文豪にも覚えめでたく、今もその高貴さは失われていない。そのお方が最後に手榴弾で自爆なさるのだから(TAT)なくして観られないのだ。
この映画はアメリカとの激烈な沖縄戦を描いているが、米兵は見かけない。映画でも「アメリカ人なんか見たことがない」という台詞があり、運動会ではフランクリン・ルーズベルトウィンストン・チャーチルのイラストを描いたクス球割り競争が行われる。同じように洞穴で自害する「硫黄島からの手紙 」とは随分趣が違う。
ちなみに今年の終戦記念日は取り立ててドラマチックなことは何もなく、ただ暑いだけだった。
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