テラ豚丼は人間には食えない

池田信夫 blog:ムーアの法則の歴史的帰結 コンピュータの場合、集積回路の発明された1960年から数えても50年たっておらず、すべての本の情報のうちデジタル化されたのは5%にすぎない。狭義の情報産業を超えた影響が出てくるのは、これからだ。その社会的インパクトは電力より大きく、おそらく1450年ごろグーテンベルクが開発した活版印刷に匹敵するだろう。
多分、グーテンベルクと比較するのは誤りだと思う。どう考えてもコンピュータは人間よりも機械と親和性が高く、機械に対する大きな影響に比べれば、人間への影響は微々たるものにさえ思える。
もう38年も前のことだが、人間を月面に連れて行ったのはコンピュータだ。火星探査機もしかり。当時のコンピュータでさえかくもの偉業をやってのけた。
グーテンベルク印刷機は人間を飛躍的に進化させたが、コンピュータの人間への影響は、所詮グーテンベルクのマイナーチェンジにしか見えない。本の情報が仮に100%デジタル化されたとして、それが何らかの本質的影響をもたらすだろうか。人間は時間に縛られた存在で、いかに情報化が進んだとしても、脳味噌の容量は時間に制限される。すぐにお腹一杯になる。テラ豚丼はネタになっても、実際には食えない。
コンピュータにとって、人間の脳は教育し甲斐のないものだ。それでもコンピュータによる情報革命が、グーテンベルクの印刷技術に喩えられるのは、今現在、インターネットを初めとする人間向けITが旬だからに過ぎないと思う。コンピュータの可能性ってそんな程度のものじゃないだろう。
それに比べれば機械は決してお腹一杯にならない。宇宙探査機のみならず、ナノ機械まで大小問わず無限の可能性を開いたことを思えば、人間への影響などたかが知れている。恐らく「本当の情報革命」とは、機械の人間からの自主独立にまで行き着くはずだ。←これはもはやSFごとではないと思っている。
正確には「自主独立」ではないかもしれない。「自主独立」という概念すら人間中心主義のバイアスのかかった概念で、人間以外にとって大した意味などないだろう。色々な観念に囚われているのは人間の特徴だ。それが長所でもあり短所でもあるのだが。かといって他に代替できる言葉もみつからないのだが。
実はもう人間的な意味での主体性は徐々に人間から奪われつつあるように見える。そう見えないのは、やはり観念に囚われる人間の業だろう。神の視座から見れば、もはや人間の主体性、自意識などは却って人間の立場を見えなくしつつあり、気が付けば主権は奪われているだろう。そんな感じがする。
有限の人間が事実上無限の可能性を秘める機械へと主導権が移る。もし、このことが人間にとって悪しきことだと思う向きがあるなら、その人は人間中心主義に毒されている。ある意味、人間は有機的生物の限界点なのだ。それを突破できる存在ができるのなら主役が人間から別のもの、あるいはシステムに移って何の異議があるだろうか。人間は別の存在の造物主としての名誉をもらえばそれでいい。
そして、その時は案外近いかもしれない。最近の人間界のデタラメぶりを見ているととみにそう思うこのごろだ。人間が一線から引退し、大所高所から物申す天下の御意見番風隠居老人的立場に成り下がる日は案外近いのかもしれない。
まあ、人間がこうなってしまうというのも確かに人間に対する凄いインパクトではあるけれど。
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