映画「マリア」(The Nativity Story)

maria英語タイトルThe Nativity Storyを直訳すると「キリスト降誕物語」。nativeはnationの親戚語。賛美歌の「もろびとこぞりて」の「もろびと」=nationがこぞりて迎えまつる主が降誕=nativityというわけで、キリストに集った結果そのpeopleがnationになったとか。結局、国民国家=nationって西洋ではきわめてキリスト教と縁が深いことになるのかどうか。
主演のケイシャ・キャッスル=ヒューズ、映画では受胎告知されるが、実生活でも16歳にして受胎告白している。映画撮影が始まるのとほぼ同時に妊娠していたわけで恐らく彼女も処女懐胎したのだろう。処女の意味合いがちょっと違うかもしれないが。今年4月25日に17歳で無事長女を出産。そういう意味で適役というべきか、実戦派というべきか顔に似合わず骨太の女優。ニュージーランド人でマリオ族の血が入っているので、顔立ちが東洋人ぽい。それがまたいい。宗教画の聖母像は白人女性だが、実際は白人じゃなかったらしいし。
その聖母様、映画ではかなりノーテンキな、どこにでもいそうな少女。救世主が誕生するというのに慌てふためいているは周囲の人間だけで、かなりマイペースだ。why is it me God has asked? I am nothing.なんて言ったりする。今から見れば歴史的大事も、当人は「皆そう言っているから、ま、いいか」程度のノリで、世の大事は常に後になって気づかれる。
なんで救世主が現れるのかといえば、占星術木星と金星と後、キングスターなんて三つの星が重なる。今ではただの夜空のイベントだが、当時としては重大事だったらしい。東方の三賢人までペルシャからやって来る。nativeな革命は空から降ってきた。他愛のない話だけれど、世界を揺るがす出来事のきっかけ力はいつも他愛ないことだ。偶然にかこつけてnationを束ねる。これが要諦だろう。
マリアがなぜどこにでもいそうなアイドル系娘に描かれるのかわけがありそう。映像技術の発達で当時の雰囲気をかなりリアルに映像化できるようになった。そんな中で神さびたマリア様じゃ却って浮いてしまうのじゃないか。
唯一つリアルさに欠けるのは処女懐胎だけだろう。川を渡っている最中、ヘビに襲われるが、ヘビは原罪の象徴のようで、それから免れたから処女確定ということらしいが、もし、この部分をもっと大胆に「新解釈」すればインパクトあったかもだ。天使ガブリエルも、もうちょっと何とかならなかったろうか。どこからか現れる謎の秘密結社の人物とか、実は三賢人の回し者だったとか。聖夜の映画らしく品位とリアルさのバランスを保つためにはなかなかそこまで踏み込めないのだろう。
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