ノーベル文学賞作家のネット批判と言葉のボラティリティ

TechCrunch:ノーベル文学賞受賞者がインターネットをくさす―やれやれ スピーチによると、「空虚なインターネットが最近の世代を蝕んだため、われわれの文化は断片化され、誰も本を読まず、世界についてまったく無知になってしまった」のだそうだ。
インターネットに関する的はずれなコメントを除けば、大いに啓発される部分のある文章だと思う。

的外れコメントは、ドリス・レッシングではなく、この駄文を書いたDuncan Rileyの方なのは、最近のニュースを見ても明らかだ。
A hunger for booksで、レッシングの言った、
fragmenting culture, where our certainties of even a few decades ago are questioned and where it is common for young men and women, who have had years of education, to know nothing of the world, to have read nothing, knowing only some speciality or other, for instance, computers.(われわれは断片化の時代に生きている。ほんの数十年前に確実な知識であったものが今やあやふやになってしまった。若い男女は長年教育を受けるが、世界について何一つ学ばず、何一つ読まず、専門知識を身につけるだけだ―たとえば、コンピュータなど。)
fragmentingとは、前のエントリーで書いた言葉がインフレ起こして言葉のボラティリティが高くなっている」と同義だろう。当ブログを遡れば、“情報温暖化”ということになる。
これは今日のニュースでの、出馬は2万%ないと言っていた橋下徹弁護士の自民に「出馬」、番組では否定 橋下氏「有権者が判断」(朝日)言葉のさや取りとか、名寄せ困難な年金、1975万件 宙に浮く5000万件()にも確かに現れていて、文化の根本を支える言葉自体の不確実性が増し、言葉の信用が喪失しつつあるということだ。言葉も通貨も信用で成り立っているのは言うまでもない。レッシングの言う「断片化」とはそういう意味だろう。その意味を実感したければ、ここらへんのおバカ言葉遊びの大賑わいを見ればよく分かる。
Rileyは、
伝統的な文化的エリートが(多くの場合、生まれながらに)享受していた社会における特権的地位が次第に腐食していくにつれて、無知な老婦人のうろたえた主張や、Andrew Keen流の反インターネット論などが声高に語られるようになっている。
と言うが、レッシングは電気さえないジンバブエの村のことを言っているのに、一体どっちが既得権だろう。電気をいつも使え、PCを買え、ネットに1日の相当の時間を使える我々は大した既得権者だ。
それならWikipediaはどうなのか?
にはもう笑ってしまう。まさに言葉の軽さのなせる業で、この人、Wikipediaの断片性を知らないんだろうか。
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