中世2.0

フラット増補「もう世代間ギャップなんてそのうちなくなるかもしれないね」。茶飲み友達との雑談での話。映画でも音楽でもやたらリメイクが増えているのには訳がありそうな気がする。過去を保存流通させる媒体が急速に普及し、世代という言葉が次第に意味を失いつつあり、世代がフラット化する世界になるということだ。
フラット化する世界 [増補改訂版]が出るそうだが、世界経済のフラット化のみならず人間の内面までフラット化する時代に生きている。
ナツメロなんて言葉、もう死語だろう」。ポピュラー音楽産業に携わったこともある彼は言う。「つまり、懐かしさとかノスタルジーなんて感覚も、そのうちなくなるよ。俺たちの若い頃の音楽や映画、今ではその時代を知らない今の世代の若い人がその気になればすぐ手に入れられる」。
今の歌手や映画監督は大変だという。同世代のライバルと競争するばかりでなく、過去の歌手や過去の映画監督と競争しなければならない。そして、この競争に勝てる人間なんてガチではなかなか難しいというのだ。
そのことは、ちょうど日本をはじめ先進国の労働者が中国やインドの安い労働者と競争しなければならない状況とかなり似ている。過去のリサイクル、りユースも割安だ。しかも質がいい。
そうか、CD、DVDくらいまでならまだよかったけれど、YouTubeとか、Wikipediaとか、過去に無限に手軽にアクセスできるようになると、時間軸が圧縮されてフラット化するということだ。光速で飛ぶと時間も圧縮される。アインシュタイン相対性理論は、芸能文化にまでも適用される。何ということだ。
椿三十郎」とかリメイクだけでなく、「三丁目の夕日」なんてオリジナルなのに最初からリメイクみたいなもんだ。最近見た映画でも「ディスタービア」とか「アイ・アム・レジェンド」もリメイク。結局、時代とともに生まれる、あるいは時代限定的な映画や音楽は芽が出にくくなり、ポップスが最初からクラシック化する。あと語られるのは演奏家の解釈、表現力ぐらいなもの。
そういう環境が今後続くと、世代間で記憶の内容が次第に変わらなくなり、年齢差という物理的差以外違いがなくなる。かなりオーバーに言うとそういうことになる。ノスタルジー、懐古の感覚がなくなるということは、今現在が過去の思い出と化すことと同義ではないだろうか。つまり、停滞。
これは新しい中世、というか中世2.0と呼ぶべきか。
思えば、世代間ギャップというのは、経済の猛烈な右肩上がり発展の結果、文字通り十年一昔で時代が変わったからこそだろう。
しかし、今世紀になって、行き着くところまで行くと、そのテクノロジー、フラット化した世界が世代間ギャップをも解消するように作用し、新たな停滞を迎える。
実際、世界がフラット化すると言っても、世界全体が先進国になるようなことにはならない。ほんの半世紀前、世界全体が社会主義化するとまことしやかに言われたものだが、今度の「世界全体がやがて」というのも現実はそう甘くないだろう。物理的制約があり、経済発展はそろそろピークを打ち、むしろリセッションが常態化するだろう。その分、人間の内面のフラット化が進行する。そのことは経済的でもあり、省エネでもあるから、そうなるだろう。
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