三島由紀夫と癩

inouetakashi三島由紀夫虚無の光と闇(井上隆史著) 三島由紀夫研究者である著者の20年以上にわたる論稿をまとめたもの。「豊饒の海」の論を読むと、「癩」という言葉がキーワードにして使われている。
ハンセン病という名が定着した昨今、「癩」と書くと差別用語と取られかねないが、「癩」という言葉は三島文学では欠かせないキーワードだ。三島作品で最も有名な「癩」にまつわる作品は作品名にもなっている「癩王のテラス」だろう。人間は必ず死ぬ運命にあるから生自体が不治の病ということの隠喩として使われている。
その「癩」が「豊饒の海」でも多用されていることに著者は着目する。
豊饒の海』では、この様な内面の荒廃が再三にわたって「癩」に擬せられているが、このことは、作者の三島自身が暗澹たる精神の窖(あなぐら)を内面に抱えていたことを暗示している。(p167)
具体例としては、第一巻「春の雪」では、聡子を失った清顕、第二巻「奔馬」では無為のままで終わる勲、第三巻「暁の寺」第四巻「天人五衰」では、本多のベナレス体験と説明されている。(p182-183)
同じように「癩」をキーワードにして論じられているのには「かくも永き片恋の物語」がある。こちらは「癩」ばかりでなく、「雨」、「滝」、「鼈」(すっぽん)、「蛇」、「刀」、「瞼」、「鳥」、「癩」、「黒子」(ほくろ)&(くろこ)と、多彩なキーワードの暗号解読が試みられていて、こちらの方が詳細を極めている。(ただし、本書はこの本を元ネタにしたものではなく、初出は本書の方が早い) 三島は言葉の人というか言葉のプログラマーのようなところが特に強い作家だから暗号解読も必要なのだろう。
著者は「癩」を「内面の死」と解釈する。確かに清顕の「優雅」や勲の「幻」は「内面」かもしれないが、本多の自意識こそ「内面」にふさわしいと思える。
清顕や勲にとって「癩」とは「現実」にほかならない。素直に「癩」=「人生という不治の病」でいいんじゃないだろうか。つまり、現実世界のどうしようもなさ、のようなものと。ハンセン病自体はけっして不治の病ではないのだが。
元々のオリジナルと思われるのは島木健作の「」だろうか。ここでは、現実の病に打ちひしがれた主人公太田の「思想」(共産主義)が、肉体の絶対性に敗れることが描写されている。
盲目的な意志を貫ぬこうとして荒れ狂う現実を、人間の打ち立てた一定の法則の下にしっかと組み伏せようとする、それこそが共産主義者の持つ大きな任務ではなかったか。そして、自分もまた、そのために闘って来たのではなかったか。――そうは一応頭のなかで思いながら、彼の本心はいつかその任務を果すための闘争を回避し、苦しい現実の中から、ただひたすらに逃げ出すことばかりを考えているのであった。彼は積極的に生きようという欲望にも燃えず、すべての事柄に興味を失い、ただただ現実を嫌悪し、空々寞々たる隠者のような生活を夢のように頭のなかにえがいて、ぼんやり一日をくらすようになった。それは、結局はやはり病にむしばまれた彼の生気を失った肉体が原因であったのであろうか。――だが、時々は過去において彼をとらえた情熱が、再び暴風のようにその身裡をかけ巡ることがあった。太田は拳を固め、上気した熱い頬を感じながら、暗い独房のなかで若々しく興奮した。しかし次の瞬間にはすぐに「だが、それが何になる、死にかかっているお前にとって!」という意地のわるい囁きがきこえ、それは烈しい毒素のように一切の情熱をほろぼし、彼は再び冷たい死灰のような心に復るのであった。
 太田がそうした状態にある時に、一方彼が日々眼の前に見るかの癩病人たちは、身体がもう半ば腐っておりながら、なんとその生活力の壮んなこと! 食欲は人の数倍も旺盛で、そのためにしばしば与えられた食物の争奪のためにつかみ合いが始まるほどであり――また性欲もおさえがたく強いらしく、夏のある夕べ、かの雑居房の四人がひとしきり猥らな話に興じたあげく、そのうちの一人が、いきなり四ツんばいになって動物のある時期の姿態を真似ながら、げらげらと笑い出したのを見た時には、太田は思わず、ああ、と声をあげ、人間の動物的な、盲目的な生の衝動の強さに打たれ、やがてはそれを憎み――生きるということの浅ましさに戦慄したのであった。

太田は癩ではないが、重篤な肺病だ。当時の知識ゆえハンセン病に対する思い込みもあるようだが、太田が肉体の圧倒的な絶対性に目を見張っていることがよく分かる。その後、癩患者として変わり果てた同志岡田に遭い、肉体が冒されてなお思想が血となり肉となって動じない姿を畏敬するが、太田自身はその境地には達せず死亡する。
この件は、どことなく「春の雪」の、
こんなに何も感じられず、陶酔もなく、目の前にはっきりと見えている苦悩さえ、よもや自分の苦悩とは信じられず、痛みさえ現の痛みとも思われぬ。それは何よりも癩病人の症状と似通っていた、美しいものになるということは。
の清顕の思いによく似ている。「思想」を「美」に置き換えても良いだろう。「癩」は「内面の死」=「思想の死」というより、肉体の思想に対する優越性を語っていないか。岡田にとって「思想」と「肉体」が一致していたことは三島の「文武両道」を思わせる。
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