史上最強アイドル南沙織博物館

saori minamiコラムニストの中森明夫氏によると、南沙織は「日本人アイドル第一号」だそうだ(それ以前は「スター」)が、「第一号」でかつ「最後」のアイドルだ。なぜなら、この人を超えられるアイドルなど今後絶対出て来そうにない。結果的に最初が最強だった。
百聞は一見に如かず。その輝きは「17歳」を見れば分かる。南沙織もまた「最初」が「最強」であり、アイドルはある意味、「ネクストワン」がbetterであってはいけない、成長してはいけない存在なのだ。
17歳@1971↓ by 南沙織

もう以下はオマケみたいなものだ。あの髪、あの肌、あの顔付き、あのスタイル、あのミニスカートとあの太股の肉付き、あの声、あの笑顔、あのはにかみ、あの初々しさ、あのサトウキビを丸齧りしたような甘さ。これだけでもう何も説明する必要ない。
フィジカル面での圧倒的求心力は、その後出てきた山口百恵桜田淳子森昌子がただの貧乏臭い3人娘にしか見えなくなる。
何がアイドルかと言えば、重たい精神性、翳りが皆無であっけらかんとした明るさ。同時代によりもてはやされた百恵との違いは百恵が古い日本人像にとどまったのに対し、南沙織は完璧な新日本人だったということ。日本人のような南洋人のようなアメリカ人のような無国籍性が、ジャンボ機が就航し、海外旅行への憧れとが現実的レベルで一致した。脱日本化の幸福とでも言うのだろうか。その後出てきた
色づく街@1973↓

この頃から歌がうまくなる。しかし、それはある意味悲しいことだ。アイドルとしての純潔@1972←クリックが失われることも意味しているのだから。つまり翳りが出て来る。別に石油危機と結びつけるつもりはないけれど。
人恋しくて@1975↓

この頃からミニスカートをはかなくなる。これははかなさの始まり。
ゆれる午後@1977↓

1978年引退。
そして1979年。彼女と容貌がかなり似た(年を取れば取るほどそう)竹内まりやが「セプテンバー」で現れたとき、芸能界的輪廻転生のようだった。「セプテンバー」自体「色づく街」の輪廻転生のようでもある。竹内まりやとは「色づく街」以前が欠落した南沙織advancedだ。歌はまりやの方がはるかにうまい。その分、アイドル性は最初から減殺されていたけれど、耐久性があった。彼女は今も輝きを失っていない。
青空@1992↓

なんかを見ると、結婚後の南沙織は立場が逆転し、結婚後の竹内まりや劣化コピーに成り果てている。そして、何より日本人回帰している。フツーの日本人の奥様におさまったということだ。
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