カーボン・デモクラシーで温暖化防止は無理

今日のNHKクローズアップ現代・ヨーロッパからの“新しい風”【2】“低炭素都市”への挑戦」でロンドン市長が提唱した「Carbon Democracy」が取り上げられていた。一言で言えば、二酸化炭素を排出する権利は世界1人1人平等であるべきだということだが、残念ながらこんな素朴な概念で解決できるほど地球温暖化問題は素朴じゃない。
これ、前々から懸念していることだけど、下手にこの「カーボン・デモクラシー」を普及させれば、却って地球温暖化を加速させかねない。裏返せば世界の全人口が先進国並みの二酸化炭素を排出する権利がありますよ、ということになり、そうなったら、もう収拾がつかなくなる。
実はこのカーボン・デモクラシーというイデオロギーこそ排出権取引のバックボーンになりつつある。後進国は1人あたりの排出量が桁違いに少ないから、その余剰分を排出権取引で交換できることになる。後進国が「先進国並み」に排出するまでだ。なぜ京都議定書が全世界参加型にならないか、しようとしないのか、これを考えれば分かる。それでは、ビジネスとしての「旨み」がなくなるからだ。排出権という大義名分の下に後進国の市場開発が促進されないのだ。
大体、排出権、その一形態であるキャップ・アンド・トレードが喧伝されても、例えば、採掘権取引なんて聞いたことがない。
一番確実に明快に排出量を削減する方法は、毎年前年比1%ずつ石油、石炭、天然ガスの採掘量を減らしていくことだ。この方が元の元を絞めることができて管理し易く確実だ。後は、3大化石燃料では需要の差があるので、総潜在排出量を基準にしてそれぞれの採掘会社同士で採掘権取引をすればよい。
そうすれば、元の供給が最初から決まるので、あとは各自勝手に省エネに努力すればよいことになる。毎年1%ずつ減らせれば2050年には確実に排出量は半減する。ちなみに省エネの進んだ日本はこの方式の方がはるかに有利だ。
しかし、こういったまともな提案はいまだ大きな舞台で提案すらされたことがない。
もっとも採掘制限だけでは、潜在エネルギー需要が森林伐採などに行き、これだけでは実際には不十分なのだが、少なくとも現在の世界の流れよりはるかにましだろう。
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