ジャンパー

jump2スティーヴン・グールド原作、ダグ・リーマン監督、ヘイデン・クリステンセンサミュエル・L・ジャクソンジェイミー・ベル。一見、SFファンタジーに見えるけれど、ありきたりなテレポーテーションのアクション系ではない。少女の頃のミリー役を演じる「テラビシアにかける橋」のアナソフィア・ロブが水晶球を見つめるときに全てが始まる。
水晶球は占いの小道具だけれど、実際に出てくるのは水晶球ではなく水と飾り物が中に入ったガラス玉の贈り物。中世の占いの世界と、少女との愛とが、この映画の出発点ということだ。実際、瞬間移動するジャンパーは中世からいて弾圧を受けていた、ということが明らかになる。いわばジャンパーというのは異端者のメタファーで、魔女狩りの対象、異端者の生き難さをかなり現代化して描いている作品。
最初のジャンプが水まみれというのは、この贈り物と関係があるし、ジャンプ先が図書館というのも、この映画がどはでなアクションのイメージの割にかなり内面的な作品ということが分かる。
jump1実際、ジャンパーにはそんな悪者出て来ない。銀行強盗といっても、人に危害を与えたわけでもない。後は好きな場所で好きなように楽しむ、言わば究極の世捨て人のような人たちで、登場するジャンパーはみな孤独感を漂わせている。スフィンクスの頭の上でのランチなんて豪勢に贅沢ではあるけれど、どこか寂しい風景だ。自分だけにしかできない故に誰とも共有できない寂しさがある。無制限の自由は必ずしも無制限の幸福を約束しない。
そして、何気にか、このジャンパーたち、コンピュータに自由に侵入する天才ハッカー、あるいはクラッカーを連想させる。まさに行き先、無制限だ。「ジャンプ・スカー」なんて用語が出てくるけれど、何とはなしにセキュリティ・ホールという言葉を連想してしまう。
中世の魔法の世界とコンピュータ世界をミックスさせたような世界。似たような世界としてセカンドライフというのもあるし、魔法とサイバーは相性が合うというか。一昔前、パソコン通信を霊界通信になぞらえた人もいた。
オマケ。ミリー役はアナソフィア・ロブで通して欲しかった。メークで何とかなったと思う。
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