明日への遺言

asita1asita2大岡昇平原作、小泉堯史監督。日本のアンソニー・クインこと藤田まことと、スティーブ・マックィーンの息子フレッド・マックィーンの日米司法対決。妻役の富司純子は背景にボンヤリいるだけで、とても共演と言い難い。
下手すれば藤田まことの朗読会もしくは独演会になるところだった。藤田の演技もメリハリがなく平板。というか、メリハリ持たせようがないというか。
家族や孫、部下との触れ合いも、取って付けたようで、響いてくるものがない。弁護士もそう。アメリカ人なのに日本の味方をしてくれたというより、職務上そうしただけで、検事を演じたフレッド・マックィーンだって、本当は味方したかったはず。彼は微妙な立場と心理を目で演じていた。眉毛越しの上目遣いが父親そっくり。
見せてもらわなくても分かるようなことに無駄に時間を割いているような感じで、正直退屈だった。
何が不満かと言えば、「法戦」とは言え、言葉だけの戦いで、映画として作る価値があったのかどうか。ナレーションと、ドキュメント映像、イラスト画、若干の回想シーンを挿入しただけで、あとはほとんどが延々たる裁判所のシーン。演劇ならOKだろうが、折角、映像技術が発達した今、もっとリアルな映像で時代描写してほしかった。
岡田資が潔いのは分かる。けれど、それだけで「明日への遺言」にはならんだろう。「法戦」で徹底抗戦したとは言い難く、結局罪をおっかぶって逝った。そういう風にしか見えない。どうせ、こんな裁判、最初に結論ありき、なので同情はされても結論がひっくり返ることはない。「よくぞ明日の日本のために戦ってくれた」とまでは言えない。「明日への遺言」と言うのなら、「トルーマン戦争犯罪人」ぐらい言って欲しかった。
潔さが裏目に出て、皮肉にも今日の日本の体たらくを生んでしまった。こんなときに仏教哲学のようなものを開陳して恬淡と死に逝くより、2年前処刑されたサダム・フセインのように奇麗事抜きで「アラーは偉大なり」と叫んで逝った方が、むしろ「明日への遺言」になるものだ。
意気込みだけ強過ぎて中途半端な作品になってしまった。
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