「世界は紙細工」

「バラバラ殺人時、世界は紙細工だと」精神鑑定医(朝日) 国立精神・神経センターの金吉晴医師=検察側申請=が殺害や損壊時の被告の精神状態を説明した。三橋被告を「短期精神病性障害」と診断した金医師は、弁護側が主張した心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは「無関係」と述べた。遺体を切断して捨てた時点では「世界は紙細工だ、というような意識の変容があり、殺害の衝撃も重なって精神状態が変化した」と指摘。
今時、「世界は紙細工」だなんて思うことは、もう結構ありきたりなのじゃないかと。
30年くらい前ならいざ知らず、今時この台詞で意識の変容とか言われても、特段意外性もインパクトもない。文学とか映画でこんな台詞はかれても却って「古いなあ」と反応してしまいそうだ。現代人なら、暇な時間にボーッと考え事していたら大抵の人は「世界は紙細工」だなんて考えることだってあるんじゃなかろうか。
別にインターネットとかの発達だけでなく、街を歩いていても、街の風景は紙細工のように日々変容している。広告は毎日のように紙細工のように張り替えられているし、ビルだって、毎日のように建てられ壊され、日々風景が更新されている。毎日の出来事やニュースもどんどん更新されて紙細工のように使い捨て状態で、もうこんな表現すら陳腐だ。
そんな環境の中でもう「世界は紙細工」ぐらいの台詞で驚いていられない。この台詞でもって責任能力とかが問題にされると、ほとんどの人は責任能力を問われなくなる可能性すらある。
三橋歌織被告本人は別に「世界は紙細工」だから夫の遺体を紙細工をはさみで切るようにバラバラにした訳でもないだろう。もう日常的に「世界は紙細工」状態なのだから、そんな言い訳聞き飽きただ。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 ニュースブログへ