つぐない

atonment1公式サイト。イアン・マキューアン原作、ジョー・ライト監督、ジェームズ・マカヴォイキーラ・ナイトレイ。「つぐない」をテーマにした映画としては、「君のためなら千回でも」があるけれど、あちらはかなり身勝手な贖罪であったのに対し、こちらは償い自体が叶わぬものとなり、もう夢の中でつぐなうしかないという心の清算の色彩が強い。
見終えると、どこまでがブライオニーの創作なのか分からなくなる。出だしからして、ブライオニーの創作シーンで始まり、その後もタイプライターの音が通奏低音として響き続ける。
atonment2溺死に対する夢のようなこだわりは何なのだろう。13歳のブライオニー(シーアシャ・ローナン)がロビー(ジェームズ・マカヴォイ)への思いから、わざと川で溺れる振りをする。姉のセシーリア(キーラ・ナイトレイ)が壷の欠片を拾うために噴水に潜る。そのセシーリアは最後に地下壕で溺死する。そのセシーリアの溺死さえ現実なのか、成人したブライオニー(ロモーラ・ガライ)、あるいは老作家になったブライオニー(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の創作なのか判然としない。
恐らく、最初のブライオニーの溺れと淡い恋心が結びついた至福の体験が忘れ難く尾を引き、恋敵の姉の噴水への潜水を誤解させ、最終的に地下壕で溺死させたのではないか。残酷な復讐のようにも見えるが、自分が体験した至福と同じ死に方で姉を弔うというブライオニーなりの弔い方なのかもしれない。けれど、映画ではこれが「事実」ということになっている。
これら象徴的シーンに限らず、「水」はどこか「幸福」を象徴しているようだ。プールサイドのセシーリアの美しさ、風呂桶に入りながら、天窓越に軍用機が飛び去るのを眺めるロビー。逆に行軍で耐えられないような喉の渇きに苦しむロビーは不幸な運命を暗示しているようでもある。
atonment3手紙の誤解はどこか「春の雪」の手法を思わせるが、誤解はブライオニーの側だけにあり、2人がこんな程度で壊れるほど幼くはない。実はロビーが戯れに書いた手紙自体がブライオニーが書いた偽装手紙じゃないかとさえ思える。ブライオニーだって、ずぶぬれになった下着から透けて見えるセシーリアのそれをしっかり目撃しているのだ。そもそもあの程度の誤解でお詫びの手紙など大人のロビーが書くものかどうか。
そして決定的となるレイプの目撃。あのシチュエーション自体が観る者を戸惑わせる。皆が必死に双子の兄弟を探している時にやれるものなのかどうか。かなり無理な設定なのはイギリスの邸宅の広さを日本人が想像できないだけなのか。しかし、ブライオニーが誤解しても、家族全員が誤解するのは無理筋だろう。
ラストの岬の家。それはセシーリアがロビーに送る絵葉書の写真なのだが、これもブライオニーの創作。このシーンがまた同じヴァネッサ・レッドグレイヴが演じているとあって、どうしても「いつか眠りにつく前に」と重なってしまう。岬のある家は終末と合うようだ。
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