言葉は粒子か波動か

池田信夫blog:グーグルでバカになる?&そのリンク:Is Google Making Us Stupid?
Life is beautiful:自分で考える前にググっていませんか?
BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com:古人曰く「下手の考え休むに似たり」、これを革むるに「下手の考えぐぐるに如かず」?
いずれもインターネット検索が人の思考に与えることについての考察だけれど、そこで考えたのは言葉は粒子(断片)なのか波動なのかということ。
タイトルは、もちろん、光の、波動と粒子の二重性からのコピペ。ネット空間の、宇宙空間の光に相当するものは言葉だろう。
Nicholas Carrもネットによる知識の断片化を指摘しているけれど、言葉を波動として捉えればどうか。かつて「クリック脳」で書いたけれど、ぐぐるという行為は、一見知識の断片化に見えて、実は自意識が気付かない、自意識の統制から解放された“波動的思考”をしていて、より新たな発見が起きる確率が高まるのではないか。
長文の本を読まなくなったからといって、知識の断片化につながるのかどうか。むしろ、深い思想や芸術は反面、人々の思考を拘束するもので、それが高じたのが中世の暗黒時代だろう。bewaad氏が指摘されているように暗黒時代という名称自体がヨーロッパローカルだけれど。
その意味でグーグルはパラダイムを越境するスキゾフレニー的な、波動的思考を誘発させる可能性を秘めている。思考は基本、言葉から出発するし、ぐぐることも、もちろん、言葉から出発する。知識はいくら断片化されても、言葉は文脈の中でしか機能しないので必定波動的性質を持つ。暗黒時代どころか白熱時代だ。
もちろん、ランク付けのような一極集中化現象ももたらし、知識のボラティリティも高くなる。それは投資ファンドが経済を活性化させ、イノベーションをもたらす誘因になると同時に市場の不安定化ももたらすのと似ている。
しかし、皆ぐぐって同じようなレポートを提出というのは、かなり瑣末な問題で、学生の立場としてはいかに先生の眼鏡に適ったレポートを書き、いい点数をもらえるかが一義的な動機付けであり、ググるは、それを効率化したに過ぎない。昔も学生同士で船場吉兆風ノートの使い回しをしていた。むしろ、この先生の問題でもあり、同じレポート出させないような課題を与えればいい。先生がグーグルに負けているだけだ。
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