西の魔女が死んだ

twotwid公式サイト梨木香歩原作。長崎俊一監督、サチ・パーカー、高橋真悠、りょう、大森南朋高橋克実木村祐一八ヶ岳山麓の別荘地らしき所に一人暮らしするおばあちゃん(サチ・パーカー)はイギリス人の祖母で未亡人。ちなみに個人名はない。
この映画でまともな名前付けられている親族はまい(高橋真悠)だけ。逆に家族は名無しでも通じ合わなければならないということが暗示されているような。
魔女がイギリス人でなく日本人じゃまずかったのか。日本人じゃ却って不自然というのもあれだ。こんなおばあちゃんは今の日本では、イギリス人でなくとも異邦人ということらしい。「魔女」もまた今では有り得なさそうな人のメタファー。そこはかとなく、スローフードスローライフぽいところがやや気になるが、まいの不登校とおばあちゃんのライフスタイルが微妙に重なる。
おばあちゃんだって、社会拒否して自給自足に近い生活しているんじゃないか。パソコン、携帯はおろかテレビ、ラジオもなさげ。登校拒否したまいよりも、まいを「再教育」するおばあちゃんの方が寂しげだ。「自分で決める」のが生き方とはいえ、それは自分と対立する世界に対してであり、まいが転校するすると自分で決めると動揺する。つまり、2人は似たもの同士。だから“I know.”は「考えるまでもない、自分で決めることすらない」自明なのだ。
まいにはならず者にしか見えないけれど、おばあちゃんが気を許すげんじ(木村祐一)の登場シーンがまた凄い。肩や上腕の筋肉のアップで、全体の姿がなかなかつかめないところは「クローバーフィールド」や「ミスト」の怪物と同じ扱いかよ。けれど、怪物のように描かれることで、げんじもまた社会から拒否された人間として描かれているのが分かる。おばあちゃんが気を使ってよくすることも了解される。
おばあちゃんが死んで日本人として一番違和感あるのは死者の顔にかぶせる白布を「こっちにはこんな慣習ないのに」と白布を取り払うママの台詞。全てが真逆になっているような。本当の異邦人はおばあちゃんでなくママの方だ。
おばあちゃんが死んでも魂は残ると信じているなんて台詞聞くと、パーカーのお母さんで「アウト・オン・ア・リム」の著書もあり、生まれ変わりや東洋思想などニューエイジ系に傾倒する女優のシャーリー・マクレーンの影響もあるのかと思える。なぜか西洋風の天国とは感じられない。
それにしても、おばあちゃんの家まで行く道路の立派さよ。あれ、かなり興醒めで、ロケ地の山梨県北杜市清里の別荘地帯も日本の田舎というより西欧風だ。ややこしい異界だ。
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