後ろめたさの共有こそ最強の「信頼関係」

校長の長女合格「上層部も指示」 大分県教委参事が供述(朝日) 大分県の小学校教員の採用を巡る汚職事件で、佐伯市立蒲江小学校長、浅利幾美被告(52)=贈賄罪で起訴=から長男と長女の合格を依頼された県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で再逮捕=が県警に対し「長女については、上層部から合格させるよう指示され驚いた」と供述していることが分かった。
世間ではこの事件で「教育の信頼が失われた」というけれど、そもそも世間で「信頼」と言われているものって、「後ろめたさの共有」じゃないかと。
親族同士は、親族でないと知りえないあなたの秘密を知っている。あなたも他の親族の秘密を知っている。
親友同士は、親友でないと知りえないあなたの秘密を知っている。あなたも逆にその親友の秘密を知っている。
同じ組織に所属する者同士は、その組織でないと知りえない秘密を共有している。
男女同士の秘密の共有はアレで達成。
その他、色々なバージョンあり。
とすると、「信頼関係」とは何らかの秘密を共有することであり、その秘密の共有のバランス関係が崩れない限り「信頼」という平和共存がめでたく維持される。
そして、もっとも手軽で、分かりやすい「秘密」の共有は、やはり賂ということに落ち着くようだ。
共同体とか触れ合いのある温かい社会、持ちつ持たれつ、と言っても、農村社会の共同体の延長という単純なものではなく、賂というものが今も強力な人と人との関係をつなげる触媒であることには変わらないし、今後も変わらないと思う。
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