失神選手まで出した過酷化するシンクロナイズドスイミング

日本まさかの減点で5位/シンクロ(日刊スポーツ) 演技終了後、序盤のリフトに飛んだ小林寛美(23=浜寺水練学校)が気を失ってしまうほどだったが及ばなかった。これで84年ロサンゼルス大会から日本はシンクロの全種目メダル獲得が途切れた。
日本チームが演技終了して何事が起きたのか、文字通り水面がざわついた。男性の人までプールに飛び込む。「失神したようです」
こういう状況で「失神」といえば、「演技して失神」ではなく、「アブナイ演技を観て失神」をつい連想してしまったが、事態は深刻だった。
恐らく、4分余りの演技終了直前の16秒間息継ぎなしの脚の演技で酸欠になり、演技終了した途端、失神してしまったのだろう。後で入った「プールの底に付いて失点」の情報も失神した小林選手が沈んでしまったからなのかと勘違いしたくらい。担架で運ばれ一時は緊張が走ったが「She is OK」とか。
それにしても、シンクロは見た目の華麗さとは裏腹に過激なスポーツで、演技が派手になればなるほど選手の負担はどんどん増していく。
解説の立花美哉さんは中国、スペイン、ロシアの演技中、「新発想ですね」を連発していた。日本チームに対しては言わなかったように思うが、「新発想」のオリジナル演技が案出されるたびに選手はキツい訓練をしなければならないことになる。どんどん体への負荷が増す。しかもほかの種目のように記録を縮めるとか伸ばすとかの比較的単純な方向性があるわけでなく、むしろ従来の方向性から逸脱しなければならないとオリジナルにならないので、負荷は何倍もきつい感じがする。
例えば、同じ水泳でも、競泳は短距離なら瞬発力をこれまでの積み重ねの延長線上で強化すれば基本的にOKかもしれないが、シンクロでは「新発想」が出るたびに、これまで鍛えていなかった筋肉を強化しなければならず、かと言って他の筋肉をお休みさせるわけにもいかない。結果、持久力の強化も高いレベルで要求されることになる。どんどん肉体を万能化しなければならなくなる。負荷は等比級数的に大きくなる気がする。
そうなると、失神するかしないかの状況まで追い込まざるを得なくなり、今回のようなアクシデントになってしまうのだろう。
結局、行き着く先は、最後は体力勝負とならざるを得なくなり、そうなると体力で見劣りしそうな日本選手はだんだんフェードアウトせざるを得なくなるんじゃないかと。今回、失神者を出して全種目メダル獲得が途切れたという事実は、そのことを物語っているような。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 ニュースブログへ