おくりびと

okuribito公式サイト滝田洋二郎監督、本木雅弘広末涼子山崎努余貴美子杉本哲太吉行和子笹野高史峰岸徹山田辰夫。遺体を「葬る」(ほうむる)ことと遺体を「頬張る」(ほおばる)こととは、実は一対じゃないかと思えてくるほど、なぜか食事のシーンが多い。
大悟(本木雅弘)が納棺師になる前の妻・美香(広末涼子)が作ってくれる食事はかなりバランスの取れた地味な食事。ところが、納棺師になって前払いの給料で買った米沢牛からだんだん動物性脂肪たっぷりの肉食系に変わってくる。
社長(山崎努)と事務員(余貴美子)とクリスマスイブにぱくつく七面鳥、辞職願いしようとして社長室で食べさせられる白子の塊。何か職業柄、アブラギトギト、コレステロールたっぷりの肉食系を頬張らないと精神のバランスが保てないのだと思わせるものがある。一方で、死んだ側はと言えば、棺に収められ死化粧された吉行和子の顔は色とりどりに飾られた和菓子のようで、生の欠落を精一杯補ったような趣だ。
調理が得意で、「生き物は遺体を食って生きる。これも遺体だろ。どうせ食うなら美味しいほうがいい。うまいんだよ、困ったことにこれが」と言う社長の台詞は、実は納棺師も調理師も同じようなもんだと言わんばかりだ。実際、化粧という味付けをしてオーブン(火葬場)で焼く。どうだ、似ているだろうと言わんばかりの展開だ。
そこにユーモアの隠し味があり、単に納棺師という日本の風土に溶け込んだ奥ゆかしい仕事を超えて、宇宙観、世界観まで繋げ、人が必ず通る哀しみの儀式に奥深さを出している。そう言えば、葬式には食事が付き物だ。人を送り、送って消耗した分、肉食系でぱくつく。その結果、最後に美香のおなかに新しい生命が宿るというオチまであるような。
それからチェロの手さばきと納棺師の手さばき、チェロは女体を思わせ、エロい連想を誘発する。ケースに入れて売り飛ばされる高価なチェロと納棺に収められる遺体の類似性。社長が「天職」と言った転職は、このことを直感してのことなのか。身体性という一貫したテーマが貫いている。
原案はモックンだそうだが、残念ながら山崎努に食われていた。広末涼子は演技が正直すぎるというか。
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