おろち

orochi楳図かずお原作、鶴田法男監督、木村佳乃中越典子谷村美月山本太郎嶋田久作。おろち=大蛇だから、「上の部屋」の人が、おろちのはずだが、主要登場女性の中で一番普通そうな谷村美月がおろちというのが素朴すぎる謎なのだ。しかし、普通に可愛い谷村美月はなぜかくも変な役ばかりやらされるのだろう。
おろちは100年に一度長い眠りにつく代わりに永遠の若さを持つ少女。眠る期間は20年らしい。つまり脱皮して再生されるようだ。この20年という眠る期間はちょうど門前家の女性たちが少女から大人の女性に脱皮する期間。ここら辺シンクロしているんだろう。言い換えれば、おろちの眠っている間が門前家の少女たちが蛇化する猶予期間ということだろうか。
となれば、蛇化するのを防ぐのはおろちを永遠に眠らせたままにすることだろう。しかし、殺しても血を絞り取っても死なない。というか、血絞り出せず盥は空だったではないか。じゃあ、あの輸血された血は誰の血なのか。大体、母の葵の夫って誰だよ。見渡して該当しそうなのは輸血した執事の西条しかいないのだが。
葵が今際の時に次女の理沙に告げる言葉は本当は分からない。理沙だって本当に本当のことを話したのかさえ分からない。観る側が分かるのは、おろちを知っているのは葵だけということ。2人の娘はおろちを見てはいるものの9歳の遠いおぼろな記憶でしかない。
葵が本当に告白したのは、29歳過ぎて醜くなるのは遺伝でも血でもなくおろちの魔力のためだと言ったのではないのか。あの葵の額に付けた蜘蛛は何なのか。傍観者に見えるおろちこそ現世に怨念を持った成仏できぬ魂ではないのか。おろちは永遠の生を与えられている分、美の喜びも醜の恐怖も実感できない、傍観者の怨念があり、美への嫉妬があったのではないか。そのガス抜きとして美人系譜の門前家に取り付いたことにならないか。
おろちが眠っている間に化身した佳子とは、そういう成長し衰える普通の女性になりたいおろちの願望なのだろう。
それにしても大女優葵が演じる映画の中の映画は何を語っているのか。「3日だけ本当に生きていた」とか「今の私は本当の自分じゃない」とか。もしやこの映画の中の映画自体がおろちに制御されていたのではないかとさえ思える。なにしろ、彼女は100年間ずつ生き続けられるのでいくらでも仕掛けられるはずだ。繰り返されるシーンと「終」の間にどんなシーンがあったのか伏せられているのも謎を深める。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 映画ブログへ