今ここにあるイーグル・アイ

eagleeye公式サイトスティーヴン・スピルバーグ製作総指揮、D・J・カルーソー監督、シャイア・ラブーフミシェル・モナハンロザリオ・ドーソンビリー・ボブ・ソーントン、イーサン・エンブリー、アンソニー・アジジ。見も知らぬ男女2人が振り込め詐欺被害者状態になって話が展開するというある意味トボけたお話だが、なぜか現在進行中の国際金融危機をも想起させる。
カルーソー監督、シャイア・ラブーフのコンビは昨年見た覗き男の「ディスタービア」と同じ。ヒッチコックの「裏窓」の換骨奪胎なのだけれど、Eagle Eyeも意味は「監視人」で、基本的に覗き覗かれものということで同じ。今回は両者が携帯電話で結ばれているということ。鷲はアメリカのシンボルでもあるから「アメリカの目」ということもかけているような。
普通なら、ワケ分からん女からワケ分からんこと言われたら、電話切って終了なのだけれど、予告通りに「ウォンテッド」風に、ビルの窓越しにクレーンがガシャーンと襲ってきたりしてびっくらこいてしまい、従わざるを得なくなる。
でも、冷静に考えると、これは大掛かり過ぎる振り込め詐欺の手口だろう。「息子さんが交通事故で人を轢いてしまいました」で真っ青になるのと基本同じだ。もっともラブーフの口座には逆に多額の現金が振り込まれ、アパートの一室には高価すぎるやばい商品の数々が送られて来るのではあるけれど。
さらに冷静に考えると、手が込みすぎていて、付き合いきれなくなる。そういう時、人間は、どうにもならないなら開き直る。まじめに付き合うには限度がある。ハナモゲラ語でしゃべれば、どんな反応示すのかとか、とにかく色々なことして反応を試すべきだ。多分、解析に手間取り、あっちもノイローゼになるんではないだろうか。
ま、それは相手が全ての情報をかき集めて自律的に反応する万能スーパーコピュータと知っていたらの話だが、仮にそう認識できなくても、街の電光掲示板や地下鉄車内の周りの人の携帯まで制御していると知った時点で、これはただ事ではなくまともに対応していてもどうにもならないと悟れるはず。もはや息子の命うんぬんという日常的次元を超えているのだから。
この映画の駄目な点は、人間の開き直り、逆ギレというコンピュータにはない頭脳の柔軟さを無視してスーパーコンピュータは何でも制御できるの一点張りなことだろう。けれど、振り込め詐欺の被害はいくら啓発してもなくならないのだから文句言っても詮無いのではあるけれど。
それは置いといて、スーパーコンピュータの反乱という点では、「2001年宇宙の旅」とそっくり。あっちはIBMのアルファベットの順を1字ずつずらしたHALだったが、こっちのARIAというのは、何だろうと考えたら、American Risk and Insurance Associationの略からの借用じゃないのかと思えてくる。冒頭の51%のリスクでは「No」だったというのが反乱の発端だったことを考えるとかなり平仄が合う。
そして、金融におけるリスクマネジメントもコンピュータを駆使したわけの分からないリスクヘッジ金融商品の暴走で今現在、国際金融危機に見舞われていることを考えると、ある意味象徴的な映画ではある。あのARIAの命令は次々にに出て来る情報に右往左往するトレーダーと重なる点がある。あまりに情報のスピードが速過ぎてついていけないのだ。この映画も展開スピード速すぎる。実際、映画でも「リスクを制御する目的で作ったものが逆にわれわれの生存を脅かしてしまった」というような台詞がラストで挿入されている。
また自律的、自己充足的機能を持っているという点では音楽のAriaも意識しているのかもしれない。もう一つ、Ariaとはこの映画の冒頭に出てくるアフガニスタンにある都市Heratの古代名だ。思いのほか、多重の意味が込められた意味深な名前のようだ。
ちなみに、ARIA内部のビジュアルデザインは日本の岐阜県にあるニュートリノ検出装置「スーパーカミオカンデ」(Super-Kamiokande)からの借用だそうだ。
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