グリーンスパンはB級戦犯

Greenspan "shocked" at credit system breakdown(Reuters) Alan Greenspan told Congress on Thursday he is "shocked" at the breakdown in U.S. credit markets and said he was "partially" wrong to resist regulation of some securities.
市場の神様の地位から掌返しでA級戦犯扱いされてしまったアラン・グリーンスパンFRB議長だけど、実際にはpartially wrong部分的に間違っていたとしか言っていない。
では、「部分的」以外のその他の間違いはどこにあったのか。
Historical Changes of the Target Federal Funds and Discount Ratesを見ると、2000年のITバブル崩壊以降、6.5%だったFFレートは、2001年には計11回、ほとんど毎月のペースで利下げされ、一気に1.75%までに引き下げられた。最終的には2003年の1.0%まで下げられた。
しかし、2001年には特殊要因があった。9.11同時多発テロだ。利下げ幅を見ると、5月までは利下げ幅は0.5%単位で下げられていたが、6月と8月は0.25%ずつと小刻みに下げられていて、3.5%まで下げた段階でもうそろそろ打ち止めにしようという機運があったのだと思う。ここまではブッシュ政権の住宅政策のお付き合いだったのかもしれないが、それ以降は違うだろう。
9.11で状況が急変し、9月、10月、11月と再び0.5%ずつ下げられてしまった。当時のアメリカ全土ののテロパニックの雰囲気を思い出せば、もう何でもありだったことは想像に難くない。とにかく、テロに対抗するためには何でもする、利下げもするだったのだろう。
まさかこれが後々大変なことになろうなんて誰も思っている暇などなかった。この一連のテロ追加利下げが結果的にツインタワー2棟崩壊させてウサーマ・ビン=ラーディンを喜ばせたばかりか、それ以上に金融システムを崩壊させるという因果な結果になったということになる。
しかし、グリーンスパンは下げっ放しだけではなかった。2004年に入るや、一転して5回利上げ、2005年には8回、2006年には1回、計14回も利上げして、ベン・バーナンキにバトンタッチしている。日銀=A級戦犯のように一度下げたら上げるのに逡巡しまくり、緊急策のはずの量的緩和ゼロ金利政策既得権益化ではないのだ。その結果、日米の金利差が恐ろしいほどに開き、円キャリー取引のために住宅バブルを抑える効果が減殺されてしまったというのが真相だろう。CDSなどの証券化商品の暴走も文字通りその派生的結果だろう。グリーンスパン同時多発テロと円キャリーというパールハーバーのために想定外のショックを受けてしまったということだ。
実際、サブプライムローンの危機を2007年初めに最初に警告したのはバーナンキではなく、引退したグリーンスパンだった。当時、その発言で株がショック安(上海ショックと言われているが実際にはグリーンスパン・ショックだろう)になった時、「引退した人がしゃしゃり出て私的な講演で相場を乱すのは迷惑千万だ」と言い放った日本の経済番組のキャスターのコメントを今も覚えている。
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