ICHI

ICHI公式サイト曽利文彦監督、綾瀬はるか大沢たかお中村獅童窪塚洋介柄本明竹内力利重剛佐田真由美杉本哲太横山めぐみ渡辺えり。「見えない」「見たい」の女性版座頭市(綾瀬はるか)と「見られたくない」「見にくい⇒醜い」の万鬼(中村獅童)という対照的なアウトサイダーの緊張関係と、愛する母を見えなくしてしまってトラウマを持つ十馬(大沢たかお)が絡むどこまでも「見る」「見られる」に拘った葛藤の物語。
のはずなので、もっと3人の関係は錯綜していていいと思うのだが、実際の映画は意外と淡白に描かれている。十馬の抜けない症候群は、トラウマから来る精神的な障害なのだけれど、ちょっと大袈裟。ひょっとしてあまりに抜かないままに刀を放置していたからすっかり刀が錆付いてしまって本当に抜けなくなったのではと訝りたくなるほど。抜くまでの十馬はかなりの頓馬ぶりなのでついついそう思ってしまう。本当に抜いた時、錆付いていないのを発見してほっとしたほどだ。
さいころの目を音だけで当てられる市はほとんどコウモリのようにまるで聴覚でものを視覚化しているかのような鋭さ。子供と3人で池畔で憩っているシーンなどは、池の美しい風景を本当に楽しんでいるようにも見える。池の小波、鳥の囀り、若葉のそよぎ、それら全てを聴覚と嗅覚などのほかの感覚を駆使して見るように楽しんでいるかのようだ。むごたらしい斬り合いのシーンだけでなく、このような静かなシーンがなかなかいい。そもそもこの映画は単なるチャンバラ映画ではないのだから。
万鬼もかつては十馬と同じ武士のエリートコースを歩む筈だったが、本人曰く「一度堕ちた人間は、二度と真っ当には戻れねぇんだ」。結局、3人とも「世間の目」に傷ついた転落組同士なのだ。
醜さを抱えた万鬼も見えないゆえに市には心許しているように見える。映画では「愛を奪う男」という損なイメージの役割だが、彼だってどこかで市を愛していたはずだからこそとどめを刺さなかったのだろう。
市を倒せる実力の持ち主は2人とも「見る」「見られる」ことに関して傷ついて堕ちてしまった男。市は見たいと思っても見えない。愛してくれる男は2人とも「見る」「見られる」ことに傷ついている。結局、傷ついた者同士が戦う羽目になるが、その時、十馬は対照的なトラウマを持った万鬼と対峙することで永年のトラウマから解放される。
その意味で悪党の万鬼は、実は市も十馬も我知らず心を許し救ったのだ。真っ当に生きたいと思っている人間を。映画では最後まで損な役回りではあったが。そして、市は醜い万鬼を見ることはない。もしも市が万鬼を見ることができたら斬れたろうか。実はこの3人は悲劇を演じているのだと思う。
他に虎次(窪塚洋介)がシアトル・マリナーズ城島健司風なのが笑える。別に同僚のICHIRO(イチロー)との引っかけでもないんだろうが。
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