公的発言と私的発言が乖離し過ぎた日本をあぶり出した田母神俊雄論争

videonews.com今週のニュース・コメンタリー:田母神前空幕長が外人記者クラブで講演
神保哲生さんと宮台真司さんの掛け合いだけれども、videonews.com自虐史観は国益を損ねる 田母神俊雄前航空幕僚長講演についてかなり奥歯に物が挟まっている印象がある。
一字一句はめんどいので、ざっと要約すると、
宮台「新しい歴史教科書を作る会の藤岡信勝さんが(同じ事を)言うのは全く問題ない。航空幕僚長が言うと、あの人の言ったことが正しいか正しくないかの内容吟味の問題ではなく、シビリアンコントロール日本国憲法第9条どう理解するかの国の解釈があって、国民が特に大きく異を唱えてないのであれば、国民による統治権力による(航空幕僚長としての)田母神さんへの命令と解釈すべき」
神保「私人としての立場と公人としての立場に若干区別をつけておられない感じですね。言論の自由ですから個人でやってください、ということですね」

けれど、アラブ系の特派員もビデオで発言したように言論の自由に公人も私人もない。その法的根拠もない。あるのは公務員が職務上知りえた情報の秘匿義務だけだろう。田母神論文にはそのような情報は一切含まれていない。だから完璧に頓珍漢だ。
大体、今の政治的弊害の大部分は「公的発言」と「私的発言」が無根拠に分け隔てすることが是とされ、極端に乖離してしまったことにある。平たく言えば、建前と本音ということになるが、この二つのレイヤーがいつの間にか乖離して使い分けるのが当たり前の空気になり、このために公人も私人もストレスがどんどんたまってしまっているのが現状だろう。
なんでも乖離し過ぎるとろくなことが起きないのは金融と同じだ。金利差が極端に開くとキャリートレードで儲けるインセンティブが発生し、挙句の果てに世界金融危機と相成ったわけだが、「公的発言」と「私的発言」が乖離し過ぎると、公人も本音を言いたくなるインセンティブが大きくなり、更にその公私混同鞘取りを狙ってマスコミが餌食にする。
政治家がたびたび起こす「問題発言」とか「失言」は、この「公的発言」と「私的発言」の法外な乖離から生じているのが大部分だ。結果、政治ニュースのほとんどはいつの間にかこうした両者のフリクションを暴き出す場になってしまった。政治をコストと考えれば、これは財政の無駄遣い以上に無駄な言論コストでしかない。ただし麻生太郎首相のように実は失言でなく使い分けできるほどの国語力すらないというトホホな場合が目立っているので却って本質が見えにくい。
そもそも、こうした乖離は私的発言<公的発言を暗黙に認めることにつながり、2人の発言も含めて民間人の発言は軽く、公人の発言は重いという官尊民卑の類のマインドコントロールに無自覚に屈していることをはからずも告白しているようなものだ。「個人でやってください」なんてのは、ほとんど「公的」なものを独占したがる傲慢な官僚の台詞だ。
かといって2人は田母神論文を否定しているわけでもなく、全体のトーンはポジティブだ。例えば、
神保「唯一の被爆国ていう問題があるのでどこまで重武装化するかという問題はあるけれども」
宮台「政治交渉で核兵器は持ちませんと宣言すると重武装化のフリーハンドはむしろ広がる」
神保「田母神さんのレベルで話してしまうと重武装化とか容認を世界にしてもらう上で不利になるんですよね」

と、「専守防衛」の問題点にはむしろ賛同している。ただ、ここで何がおかしいかと言えば、日本は「世界」とやらに重武装化を許可してもらう必要があると言うことがデフォルト状態になっていること。一体、自国の国防レベル向上をわけの分からない「世界」とやらに認めてもらうために揉み手をしなければならないなんて議論どこにあるというんだろう。これ、いまだ日本は精神的に植民地根性状態でいることがいいんだという暗黙の前提の承認だろう。
つまり、2人は、はからずも田母神氏が講演で言った「表向きは反対だけれど、内心賛同してくれる人はたくさんいる」人々を体現しているわけで、その時点で既に田母神氏に敗北宣言しているようなものなのだ。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングブログランキング・にほんブログ村へ