007/慰めの報酬

quantum1公式サイト。原題:Quantum of Solace。マーク・フォースター監督、ダニエル・クレイグオルガ・キュリレンコマチュー・アマルリックジュディ・デンチジェフリー・ライトジェマ・アータートン。ジェームズ・ボンド役がダニエル・クレイグになって以来、泥臭ささが売りになってきたのか、あるいは別の理由なのか「楽しみの報酬」は目減りしている。
ボンドガールと言えば、これまで色気のあるグラマーな美人が不文律だったけれど、今回はそうとは言えない。オルガ・キュリレンコなんて不美人ではないけれど、一昔前なら芋姉ちゃんに近いだろう、ボンドガール基準から言えば。
ここまで書いて、前の「007カジノ・ロワイヤル」を読み直したら、
ボンドガールは、今回はイマイチ。ホテルの受付の女性が一番良かった。ボンドガールも改革・刷新の時期かもしれない。
と書いていたのだ。特に読み返したわけでもないのにほとんど同じ印象を持って同じことを書いているのには唖然とする。
quantum2そして、今回も例外的に綺麗だなと思ったのは、砂漠の中の燃料電池ビルでbeverageを配るだけの端役のこの人(→と思っていたら、この方プロデューサーのBarbara Broccoliでした。↓コメント欄参照。けれど、本物の端役にかなり似ていて端役はもっと抜けるような美人だった印象がある)。この流れも前回と変わっていないのだ。古典的な美人は完全に脇に追いやられている。
最後は原油漬けにされるジェマ・アータートンも美人ではあっても、屈折した美しさでイマイチだった。彼女も含め、昔なら明らかに敵でない限り美人は殺されないという不文律があったように思う。でも、いとも簡単に、容赦なしという言葉さえ陳腐なくらいに容赦なく殺される。何かもう、女性も男性も見境なく、敵味方見境なく、善悪見境なく、高速処理システムのように殺される。同時に昔の007に感じられたアクションの中で映画全体に漂う芳しい哀愁のようなものも消えた。
その結果、人間と人間のアクションも、最新メカのテクノロジーも脇役になり、とにかく無感情なスピード処理そのものが目的になっている。今時、DC-3なんて化石のような飛行機が出て来ること自体、もう最新メカすら関係ありませんと宣言しているようなものだ。
ボンドさえも「死んだ人間は復讐しない」とか、殺された親友の遺体をゴミ捨て置き場にポイ捨てするという尊厳無視を咎められても「死んだ人間はそう思わないだろう」と、完全にキレてしまっている。ボンドもまた「ランボー 最後の戦場」のランボーや「ダークナイト」で正義の座を辱められたバットマンと同じ運命を辿っている。ヒーローはもう正義だけでは生きられなくなった。
悪役も、どうも昔のシリーズに比べてマッチョな感じとか怪人的な人間が消え失せ、今回のドミニク・グリーン(マチュー・アマルリック)なんてしょぼい詐欺的投資家という感じ。あんな子供騙しのような環境テロなんてないだろう。肉体的には圧倒的なボンドの敵じゃない。ボンドは正義の衣を脱いだ分、強くなったが、周りの劣化が激しい。これでは楽しめる量も減る。
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