次の経済も資本主義だけど炭素本位制

日経ビジネスオンライン:今の資本主義はもう、やめてくれ“森の国”の思想が次の経済システムを作る 安田 暗い話をしましたが、次のシステムを作れるのは日本だと思います。一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観を持つ日本しかありませんよ。そのキーワードは命。生きとし生けるもの、この地球上にあるあらゆる命が輝くような経済社会を作る。(5ページ)
けれど、次の経済システムもやっぱり市場原理に基づいた資本主義だと思う。
市場原理と言っても、市場原理主義と市場原理とは自ずから違うわけで、市場原理そのものは、自然生態系での食物連鎖に近い、エネルギーの交換システムだ。そもそも成長を否定してしまえば、自然生態系そのものも否定してしまわなければならない。森林って最も成功した成長産業のビジネスモデルだろう。その意味で「“森の国”の思想」こそ市場が活況な場であり、それでもって成長も市場原理も否定するのは矛盾している。
だから一神教だから市場原理、多神教だから云々かんぬんというのは、ナンセンスだろう。森を破壊したのも市場原理、そして森林を「保護」できるのも市場原理。以前書いた「炭素本位制」シリーズというのは、そういうものだ。ま、私も日本人の端くれだから、一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観を持つ日本しかありませんよ。というのははからずも当たりなのだろうけれど。
それに比べれば、成長は確かにしないかもしれないけど、20年ごとに式年遷宮ができて、1300年続く方が喜びは大きいのではないか。
これ、難しい。式年遷宮はまだ高度成長も経験していない時代からの伝統で、実際には単純再生産という形の成長モデル。それに、人間は精々80年の短期的利益を追い求める存在なので1300年続く方が喜びは大きいのではないかということにはならない。もちろん、安田喜憲さんの仰りたいことは、一部の人たちが儲けすぎてクラッシュして不幸になる人たちが増える分をこみにすれば、全体的には喜びは大きいのではないかということなのだろうけど、短期利益志向と超長期的利益志向とが折り合えるのはそう簡単じゃない。自然生態系もその葛藤の中で人間を生み出すまでに成長してきた。自然は常に不安定に成長してきた。
だから、今後、次の経済に移行するにしても、強欲もあれば市場原理もある。「炭素本位制ノート7〜環境経済大国ブラジル」のように一部の森林に恵まれた国が「法外」な利益を受けるというのもアリにしなければ仕方がない。
資本主義は主義じゃなくて自然の摂理に近いというのを抑えておかないと結局、失敗する。
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