ベンジャミン・バトン 数奇な人生

benjamin公式サイトF・スコット・フィッツジェラルド原作、原題:The Curious Case of Benjamin Button。デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピットケイト・ブランシェットティルダ・スウィントン、タラジ・ヘンソン、エリアス・コーティアス、ジェイソン・フレミングRoaring Twentiesと呼ばれたアメリカの狂騒の20年代からストーリーが始まり、狂騒のニューエコノミーの90年代を経たITバブル崩壊後の2005年8月のハリケーンカトリーナの襲来で終わる。
カトリーナはニューオーリーンズを壊滅させたハリケーンということで記憶に新しいが、映画でも20年代に作られた時間が逆行するニューオーリーンズの駅の名物時計がデジタル時計に変更されると同時に主人公ベンジャミン・バトン(ブラピ)は赤ん坊になって死に、カトリーナに襲われて水没するところでデイジー(ケイト・ブランシェット)も死ぬ。
1920年代はジャズ・エイジとも呼ばれた時代で、自動車など生産技術革命が花開いた時代。最近のIT革命の先輩格の時代だった。その名付け親になったのもフィッツジェラルド。そして、ニューオーリーンズはジャズの発祥地だった。つまり、アメリカの黄金期から黄金期までとその象徴的な都市が壊滅するということで国も人も永遠でないということが表現されているように思える。
逆方向の時間に生きるベンジャミンはあの名物時計や、1920年代の狂騒と崩壊の社会を記したオンリー・イエスタデイ(F.L. アレン著)というタイトルをそのまま化身したような、過ぎ去った素晴らしい時代に戻りたいという誰しも思うことを体現した人物に見える。ただの奇譚ではなく、現代アメリカの「ほんの昨日のことなのに」という後悔の念は金融危機の今となっては、さらにタイムリーなものになった。
とすると、老人のまま生まれたベンジャミンとは、大恐慌後に一気に衰退してしまったアメリカの化身のようでもあり、その後の第二次世界大戦を経て再生したアメリカの象徴とも見える。大恐慌から立ち直ったのは第二次世界大戦による軍需だったという説が今も有力だが、ベンジャミンもまた否応なく戦争に参加し、気が付けば体力が付いて老人から脱している。
ちなみに、老人ホームにいた7回雷に打たれたという老人って、アメリカ独立戦争(1775年)、米英戦争(1812年)、米墨戦争(1846年)、南北戦争(1861年)、米西戦争(1898年)、米比戦争(1902年)、第一次世界大戦(1917年)という、建国からその時点までアメリカが行った主だった戦争の数じゃなかろうか(参照:アメリカの戦争と外交政策@wiki)。
その後の上昇する宇宙ロケットを見上げるベンジャミンは壮年の力強さを得ているし、バイクをぶっ飛ばす怒れる若者たち風のファッション、そしてビートルズと若々しさを我が物にする。
一方のデイジーソ連ボリショイ・バレエにも招かれた唯一のアメリカ人バレリーナになるが、交通事故でバレリーナとしての道が一瞬で断たれる。彼女もまたオンリー・イエスタデイに遭遇する。それは米ソ対立の激化と冷戦の始まりを象徴しているかのようだ。デイジーマリア・トールチーフをモデルにしているのだろうか。
ちなみにベンジャミンがソ連・ムルマンスクで恋に落ちるエリザベス・アボット(ティルダ・スウィントン)は女性初のドーバー海峡横断泳者になったGertrude Ederleをモデルにしているのだろうか。彼女は実際には1920年代に横断を成功しているのだけれど。
ラストのハチドリがカトリーナの強風に煽られて病院の窓で羽ばたくシーン。脈拍数が人間よりはるかに多く、羽ばたく回数も恐ろしく速いハチドリとは、レバレッジで短期利益を求めるアメリカの金融経済を象徴しているようで、その崩壊と金融危機救済策すらも予兆しているように見える。そもそもベンジャミン・バトンのバトンとはボタンのことで、父親はボタン工場の創業者。今では新興国から輸入した方が割安な、アメリカでは衰退した製造業だが、その創業者の子供が生まれながら老人化しているというのはその後のアメリカを暗示している。
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