我が至上の愛〜アストレとセラドン〜

astre1公式サイト。原題:Les Amours d'Astree et de Celadon。エリック・ロメール監督、アンディー・ジレ、ステファニー・クレイヤンクール、セシル・カッセル、ジョスラン・キヴラン。「私の前に2度と現れないで」。愛するアストレ(ステファニー・クレイヤンクール)の言葉は5世紀フランス(ガレリア)において神からの戒律に等しい。けれど、セラドン(アンディー・ジレ)はアストレがハンカチで目を覆って寝ていることをいいことにちゃっかりキスしようとする。(写真↑)
宗教的なまでに高められる純愛の割に太股、乳房も露わなエロチシズムと機知に満ちた仕掛け。
他の女とキスしたのを浮気と誤解して永遠の離別を宣言され、木の幹に辞世の句を彫って川に飛び込むセラドン。ニンフのような城の女性たちに助けられても、誓いは忘れず村に戻ろうとしない。遂にはアストレを神にした愛の殿堂を森の中に作ってしまう。
astre2けれど、こんな目立ったものを作ること自体、何とか戒律の桎梏からくぐりぬけようという下心が見え見え。それを見たアストレは希望を抱くが、実際にセラドンが現れても亡霊と思い込む。しかし、僧院の中で変装したセラドンを見るに及んでもはや2人とも互いに気付かない振りをして「戒律」を巧妙にすり抜けているのは明らかだろう。エロスは神の戒律より強し。
ラドンと僧の間でローマの神々の多神教と、恐らくは古代エジプトにまで遡る唯一神との議論がされている。僧は「神は1人じゃないと善も悪もなくなる」と言う。映画的文脈で言えば「唯一の女性に愛を貫け」ということで、その助っ人をするのが僧だ。対極的に多神教的(多情的)な羊飼いの仲間が置かれ、セラドンに排斥される。
原作が17世紀なので、出て来る絵画もルネサンス調で、古代ローマから一気に中世を飛び越している感じ。アストレとセラドンの愛も神の戒律から一気にルネサンスの人間的な愛に昇華してしまい、その落差のおかげで純愛がコメディにまで昇華してしまっているところが秀逸。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 映画ブログへ