「痴漢」からオスカーまで滝田洋二郎監督の「おくりびと」

「おくりびと」に外国語映画賞 米アカデミー賞(朝日) 56年度に外国語映画賞が設けられて以来、日本作品の受賞は初めて。 (略)滝田監督は、タイトルの英語名「デパーチャーズ」にかけて「手助けしてくれたみんな、ありがとう。これが私にとっての新たな『旅立ち』(デパーチャー)だ。またここに戻ってくる」と語った。
滝田洋二郎監督の監督作品暦を見ると、助監督時代から新人監督時代まで「痴漢」「痴漢」「痴漢」たまに「絶倫」また「痴漢」だ。この苦節30年は感動的だ。
この中で私が観たそっち系はゼロ(ひょっとしたら、ひょんなところで観ていたかもしれないが)。本当に観たのは、そっち系をデパーチャーし始めた頃の作品「コミック雑誌なんかいらない」を観たのが最初。他は「陰陽師」と受賞作品の「おくりびと」だけだ。
ではこれまでの監督作品と「おくりびと」と何か関係あるのかと言えば、多分大いにあると思う。「おくりびと」もかなり淫猥な作品で、それは広末亮子のシーンではなくて送られる死者そのものがかなり猥褻で、納棺師を演じる本木雅弘はまるで死者に猥褻行為をしている痴漢ぎりぎりのように思えたこと。そして、そうすることが死者を悼む最後の別れにふさわしい擬似行為としての愛撫に思えたこと。
そして、納棺会社の人たちはやたら脂っこい精のつきそうな食べ物をガツガツ食っていたこと。食べる、やる、逝くが見事に一体化していたように思える。
あちらの評価は、そんなものではなく、日本特有の葬儀の儀式の伝統美とか何とかというものだろう、と日本ではつい思われがちかもしれないが、
Arguably, the film's most poignant scenes revolve around food, emphasizing the direct relationship between eating, living, and other kinds of desires. Though dealing with death and other dark themes, the overall approach is upbeat and the tone eccentric, based on the director's philosophy that "most humans are comical by nature."(Departures: Japanese Foreign-Language Oscar Nominee)映画のもっとも痛切なシーンは食べ物を中心に進み、食べることと、生きること、その他の欲望との直な関係性を強調している。死などの暗面を描きながらも全体的には人生に肯定的で「人間というものは元来滑稽な存在だ」という監督の人生観に基づいている。
と、正当な評価がされている。これも「痴漢」や「絶倫」で鍛え上げた滝田監督の積み重ねの果ての境地で辿り着いた賜物だろう。おめでとうございます。
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