資本主義は永久に不滅です

今回の経済危機はもしかすると、先進国では資本主義の鞘が取り尽くされ、長期停滞に入る前兆かしれない。インターネットは資本主義の死期を早めるかもしれないが、それは人々が不幸になることを必ずしも意味しない。電話がインターネットになってNTTは不幸になったが、ユーザーは幸福になった。たぶん幸福を計測する別の指標が必要なのだろう。(池田信夫blog:シリコンバレーの「核の冬」)より。
かの池田先生が「資本主義の死期」なんて“弱気”発言されるとは思わなかった。「幸福を計測する別の指標」なんて、とうとうブータンの世界に逝ってしまったのか。その点、長嶋茂雄はさすがに偉い。絶対弱気にならなかったのだから。太陽のように「燃える男」は違う。
いくら熱死状態(定常状態)になっても、資本主義はいくらでも差異を作り、鞘取りに励みますよ。現に今もそうしているし、今後もそうする。太陽が50億年後に爆発・消滅するまでは。そもそもエネルギーなくして差異など生じようがないし、鞘取り(位置エネルギーの利用)もできるわけもない。
「贈与」の淵源は太陽エネルギーなのだから、今のところ「贈与」がなくなるはずもない。ジョルジュ・バタイユの「呪われた部分」という過剰と蕩尽は、太陽が燦燦と照り続ける限り、永久に繰り返される。資本主義は永久に不滅です。
「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」契機(=贈与)なくして資本主義が経済発展をもたらすことは不可能だったはずです。その意味では、脱構築は資本主義のシステムを駆動するために不可欠なエンジンであったとすら言えるでしょう。平岡公彦のボードレール翻訳日記 :脱構築不可能なものとしての贈与――ジャック・デリダの贈与論
構築するにしても脱構築するにしても「過剰」なエネルギーなくして有り得ない。それでは根源的な「贈与」というのは、極めて単純に化石燃料とするのが一番理に適っているし、現実、産業革命以降の資本主義を強力に駆動させたのは化石燃料以外ないだろう。
ところで、化石燃料というのは太陽エネルギーの変形だから、結局太陽エネルギーが基本ということには変わらない。実は化石燃料とは太陽エネルギーの「過剰」の「贈与」なのだ。
それも数百万年、数千万年、数億年単位の過剰の蕩尽なのだから、凄まじい蕩尽がこの数世紀起こったことになる。
荒っぽく喩えれば、これはエネルギー版レバレッジと言えなくもない。恐ろしく効率よく資本主義が回ったわけだ。
もし「資本主義の死」というなら、エネルギーのデレバレッジが今後起こるという予感だろう。いくら太陽光パネルだ、風力発電だ、バイオ燃料だとグリーン・ニューディールをスローガンにしても絶対、効率性では化石燃料に敵わない。風力にしても太陽光にしてもレバレッジが効かない正味の通常エネルギーの交換だからだ。その意味で持続可能な成長なんて欺瞞の色合いがある。むしろ、持続可能マイナス成長が今後の資本主義の道になる予感がある。
それは「長期停滞」なんて生易しいものじゃないだろう。長期低落が正確なのではないか。エネルギーのデレバレッジがそう遠くない将来、いったん作動すれば「100年に1度」の世界金融危機が牧歌的に見えるような「100万年に1度の地球危機」になるかもしれない。
インターネットは鞘取りの速度を速めた、波長が短波になってエネルギー密度が高まったというだけの話にしか見えない。また、差異なんて大きかろうが小さかろうが、エネルギーの「贈与」が続いている限り、差異は生じるし、差異の振幅が狭まっても、鞘取りは続く。プラス成長でなくなってもマイナス成長下でも差異の振幅は続く。
今後、エネルギーのデレバレッジが進み「資本主義の死」のように見えても、資本主義は続く。その時、資本主義は巧みに変身する予感がある。例えば「炭素本位制」のような自然そのものを資本主義に取り込むような。
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